Sunday, February 7, 2010

I want you. I need you.


<I want you.>
<私はあなたが欲しい。>


<I need you.>
<私はあなたが要る。>

xxはxxが+形容詞


お茶が欲しいです。

英語の<I want you.>は日本語でどう表現するかと言うと、<私はあなたを欲する。>ではなく、<私はあなたが欲しい。>となる。<欲しい>は形容詞なので、<私はあなたが好き。>と同じ構造(xxはxxが+形容詞)だ。


xxはxxが+動詞


私はあなたが要る。

私は金が要る。


お茶が飲みたい。 最近は<お茶が飲みたいです>もいいことになっている。

旅行がしたい。旅行がしたいです。

中国に行きたい。 中国に行きたいです。



<I need you.>

<私にはあなたが必要だ。>


xxはxxが+形容詞


<私はあなたが必要だ。>と<私はあなたを必要とする。>は構造が違う。<私はあなたが必要だ。><私にはあなたが必要だ。>の<必要>は、<必要は発明の母>のように名詞としても使われるが、ここでは形容詞。一方、<私はあなたを必要とする。>の必要は名詞。<xxをxxとする>と言いう言い方で、<必要なもの>という意味あいで使われている。

<私はあなたが必要だ。>よりも<私にはあなたが必要だ。>が自然だ。<私はあなたが必要だ。>の<私>はまだ主題と言った感じが強いが、<私にはあなたが必要だ。>の<私>は主題と言うよりは補語に近くなっている。<You are necessary for me.>といった感じだ。したがって、<あなた>が強調される。

I love you.


私はあなたが好き。

xxはxxが+形容詞

英語の<I love you.>は日本語でどう表現するかと言うと、<私はあなたを愛す。>では絶対にない。<愛す>は<愛+する>で、中国由来。本来の日本語ではない。愛の表現に中国由来の語を使うと意や心が十分伝わらず、効果がうすい。純日本語の<好く>や<好む>という動詞(他動詞)を用いて、<私はあなたを好く。>とも<私はあなたを好む。>とも絶対に言わない。日本語では<私はあなたが好き。>と形容詞<好き>を使って表現するのだ。<好き>の品詞が形容詞かどうか問題はあるが(<好きだ>、<好きな>で形容動詞となるが、一応形容詞としておく。英語の<I love you.>が主語 - 述語(動詞)- 目的語と簡潔な構造なのに対して、日本語の<私はあなたが好き。>の構造は<主題(私)-助詞 (は)- 主語(あなた)-助詞 (が) - 述語(形容詞)(好き)>とかなり複雑で、助詞をのぞくと、主題(私)-主語(あなた)-形容詞(好き)となり、英語とはかなり違う構造だ。英文法から、<私>を主語と言いたくなるが、形容詞<好き>の主語は<あなた>だ。なぜなら、形容詞<好き>は<私>ではなく<あなた>を修飾しているからだ。わかりにくいのは、<好き>という語(一応形容詞としてあるが<好く>という動詞が連想されてしまう)を用いているからで、<好き>を<好ましい>というもうひとつ形容詞(漢字は同じだが、こちらは<好む>という他動詞からきている)に置き換え、さらに所謂<主題>を示す<私は>を<私について言えば>、あるいはもっと簡潔に<私にとって>とすれば、<私はあなたが好き。>は<私にとって、あなたが好ましい。>となる。この構造は<太郎には妹がいる>の<主題(太郎)- 主語(妹)-動詞(いる(ある))>という構造(動詞は自動詞)と似ており、日本語の構造の特徴だ。ただし、<好ましい>は<好き>とはやや意味が違う。<好ましい>は英語のpreferableの意味に近いが<好き>は適当な英語の形容詞が見つからない。
関係が悪化して、<I hate you.>という場合も<私はあなたを憎む。>ではなく、<私はあなたが嫌い。>とか<私はあなたが憎い(憎らしい)。>と<嫌い>や<憎い(憎らしい)>のという形容詞を使って表現する。<好き>や<嫌い>は感情をこめて発話されることが多いので、<私はあなたが好き。>とか<私はあなたが嫌い。>と主題の助詞<は>を使った事実説明的、客観的、静的な表現より、<は>のない<私、あなたが好き。>とか<私、あなたが嫌い。>の事件報告的、主観的、動的な表現が普通だ。さらに、形容詞は<が>や<は>の助詞を使わなくてよい。むしろ使わないのが本来の用法(空高し、海青し)で、<私、あなた、好き。>とか<私、あなた、嫌い。>とも発話される。ただし、<私、あなた、憎い。>とか<私、あなた、憎らしい>とはあまり言わない。<私、あなたが憎い。>とか<私、あなたが憎らしい。>と<が>を除かないのが普通だ。<憎い(憎らしい)>の英語は hatefulの意味に近いが、<嫌い>は<好き>と同じように適当な英語の形容詞が見つからない。
ところで、<好ましい>や<にくらしい>は形容詞らしい形容詞だが、<好き>や<嫌い>や<憎い>は形容詞か?<好く>や<嫌う>や<憎む>というそれぞれ対応する動詞(他動詞)があので、<赤い>、<大きい>、<安い>といった純粋の形容詞とは違うのは確かだ。動詞-形容詞-名詞の順に並べてみると次のようになる。

好く - (     ) - 好き - 好きさ
好む - 好ましい  - (  ) - 好み
嫌う - (     ) - 嫌い - 嫌いさ
憎む - 憎らしい - 憎い -  憎さ、憎しみ

こう見ると、<好き>と<嫌い>は名詞(動詞の名詞形)ともとれる。<好きさ><嫌いさ>という名詞があるが意味は限定されており、<好き><嫌い>の一般化名詞ではない。<好き>の名詞化は、<好きこそものの上手なり。>とか<好きが高じてxxxxx>にみられる。<嫌い>は<好き>ほど名詞化されていない。<憎む>には<憎らしい>と<憎い>の二つの形容詞があり、<嫌い>と同じく<好き>ほど名詞化されていない。また<憎さ><憎しみ>という名詞がある。
参考のため、その他の一般的な感情表現を見て見よう。

羨(うらや)む - 羨ましい -  (羨み) - 羨むこと  私はあなたが羨ましい。 
恨(うら)む - 恨めしい -  恨み  私はあなたが恨めしい。
惜(お)しむ - 惜しい - 惜しみ  私はあなたが惜しい。
悲(かな)しむ - 悲しい - 悲しみ  私はあなたが悲しい。(ダメ)
楽(たの)しむ - 楽しい - 楽しみ  私はあなたが楽しい。(ダメ)
(      )- 嬉(うれ)しい - 嬉しみ   私はあなたが嬉しい。(ダメ)
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愛する - 愛らしい- 愛 私はあなたが愛らしい。(ダメ)

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ところで、 惚れる(ほれる)という動詞がある。

古語では
頭がぼんやりする。また、年をとって頭がぼける。耄碌(もうろく)する。
例 
「いかなる事出で来む、と思ひ嘆きて、頬杖(つらづえ)をつきて—・れてゐたるを/落窪 1」
現代語も古語も に近い。<自惚れる>も<惚れる>に関連した語。 


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I understand it.


<I understand it.>

<私はそれが分かります。>

xxはxxが+動詞

xxはxxがわかる。

<I understand it.>を直訳すると<私はそれを理解する。>あるいはunderstandにある程度<出来る>の意味が含まれているで<私はそれを理解できます。>となるが日本語らしくない。日本語として自然なのは<私はそれがわかります。>だ。<それ>が<わかる>の主語で、<私>は主題なので<私には>としても問題なく<私にはそれがわかります。>とするとむしろもっと日本語らしくなる。

<私はそれがわかります。>は<私はそれができます。>(I can do it.)と同じ構造だ。<I can do it.>の場合、canという助動詞があって少しめんどうだが、<私にはそれがわかります。>(I understand it.)は英語の方にcanがないため日英の比較がしやすい。<わかる>は<できる>と同様自動詞だ。<わかる>は<分かる>で、もともと自然に<分かれる>の意味だが、<分けられる><分析される><分析できる>の意味に進んでおり、いい日本語だ。<分けて>考えると<分かり>やすくなる。努力しないで自然に<分かる>場合もあれば、努力した後<分かる>場合もある。努力したばあいでも<分かる>は自動詞で<・・・をやっと分かった>とは言えず、<・・・がやっと分かった>となる。<分かった>ときの状況を考えると<分かる>が自動詞であるのがわかるような気がする。<分かる>に至る過程は<考える>で、こちらは<・・・を考える>で他動詞だ。<英語ができる>と<英語がわかる>の意味はかなり近い。ただし<英語ができる>の方が聞いてわかること、読むこと、話すこと、書くことが出来て、all mightyのようだが、<英語がわかる>の方は聞くこと、読むことはできるが、話すこと、書くことは必ずしも出来るとは限らないようの聞こえる。<分かる>が理解の段階でとどまって受身的なのに対して<できる>は能動的な面がある。それでも<できる>は自動詞だ。

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I can do it.


<私は英語ができます。>

xxはxxが+動詞

xxはxxが + できる。

I can do it.>を直訳すると<私はそれをすることができます。>となるが、もっと簡潔に<私はそれができます。>はどうか?これも可能だ。もとの英語が簡潔なので、むしろこのほうがよい。英語と日本語をよく見ると構造がかなり違う。英語は主語の<I>がまず置かれ、canという助動詞を使い、そのあとに本動詞のdo(他動詞)を置き、さらに目的語のitが来る。一方、日本語はどうか?<私はそれをすることができます。>を英語に文字通り直訳すると<Regarding I (me), it can be done.>で何とかなるが、<私はそれができます。>は<Regarding I (me), it can be.>となり、意味が曖昧になる(と言うよりは、意味が違ってくる)。なぜ<it can be>と受身にしたかというと、日本語にcanに相当する助動詞がなく、<できる>という自動詞を代替して使っているからだ。英語の辞書canの訳語(説明)は<・・・ができる>(可能の助動詞)となっているが、<できる>は自動詞なので、文の構成は根本的に違ってくる。日本語にcanに相当する<える>(うる)を使って<私はそれをなしえます。><私はそれをしうる。>とするとすっきりするが、<xxはxxができるほど自然ではない。動詞+<える>(うる)は漢文読みからきているのだろう。
<できる>はもともと<出来る>で、<用事が出来る、<腫れ物が出来る>などのにみられるように、出て来る>、<生まれる(生じる)>が本来の意味だ。意思や意図に関係なく自然に<出て来る>意味だ。ところが、<用意が出来る>、<準備が出来る>などとなると、<自然に><出て来る>というよりは意思や意図が達成される(出来上がる)意味になる。子供が出来る>は意図が達成される場合も意図しない場合も考えられる。<木(鉄、紙、etc.)でできた>も<出て来た>というよりは<出来上がった>の意味だ。<料理が出来る>となると<料理が出来上がる>の意味もあるが、<私は料理が出来る>の<I can kook.>の意味にもある。ただし主語<料理>以外に主題<私は>が加わる。<英語が出来る。>となると<英語が出て来る。><英語が出来上がる。>の意味はない。<私は英語ができます。>は立派な日本語で、英語に直訳すると<I can English.>とでもなるが、英語としては明らかに間違いで、<I can understand (read, speak, write) English.>あるいは<I can manage English.>と可能の助動詞canに(本)動詞を加えないといけない。<I can understand English.>はcanのない<I understand English.>でもよい。Understandにある程度<出来る>の意味が含まれているだ。日本語の構造は、<私>が主題で、<英語>が<できます>の主語なので、さらに日本語の構造にしたがって英語に訳せば、<Regarding I (me), English can be understood.>あるいは<Regarding I (me), English can be managed.>とでもなる。
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