Friday, May 30, 2014

止める、泊める、留める


日本語では<とめる(とまる)>に<止める(止まる)>、<泊める(泊まる)>、<留める(留まる)>の三種があるが、大和言葉では(実際話したり、聞くいたりする時は)この区別はなく、すべて<とめる(とまる)>の一語(自他を分ければ2語)だけで、一般性の高い(または多義語の)動詞だ。

英語では

to stop - 止まる、止める
to stay - 泊まる、<泊める>は to let someone stay で使役形になる。
to fix  - 留(と)める(固定する)

<とどめる(とどまる)(to retain, to sustain; to remain)>というのもある。

漢語では<中止する(中止になる)>、<停止する(停止になる)>。

基本的にはどれも<動いている(動く)モノを動かなくする>、<動いている(動く)モノが動かなくなる>ことだ。

<中止する>、<中止になる>は<終える>、<終わる>と違う。終わりまでせず(行かず)途中で<終える>、<終わる>ことだ。もう一つ中国語で <暫停>というのがある。<とりあえず止める(止まる)>ことだ。<中止>は途中とはいえ完全に<終える>、<終わる>に近いが、<暫停>は再び動き始める(まる)可能性がかなり 高い。日本語でも<停電>は一時的な電力供給の中止、<バスの停留所>はバスが一時的に止まる場所だ。大和言葉の<とりあえず>がクセモノだがここでは詮索しない。

英語でも<to stop>と<to hold>は違う。

to hold には<待つ>の意があるが<人を待つ(to wait for)>の<待つ>ではなく、誰かが何かをしようとするのを<止める>ときの<待て>だ。

漢字もおもしろい。持つ = to hold、待つ = to wait、現代中国語で<待つ>は<等(deng)>でいずれも<寺>の字がつく。現代中国語の<止める>は<停(ting)>だ。雨や風が<やむ(止む)>のもこの<停(ting)>だ。


慣用語法として

目にとめる
気にとめる
心にとめる

は受けた何かを目、気(持)、心に固定するような感じだ。

<とめる>が後に来る複合動詞を書き出してみる。

受けとめる - 受けたモノ、コトが、少なくともしばらくは離れて行かないようにする。

書きとめる - 書いて、固定し、少なくともしばらく忘れないようにする。

くいとめる - <食い>とめる、なにか変だ。少なくともしばらくはふたたび動き始めないようにする。

消しとめる - 火を消すだけではなく、少なくともしばらくはまた発火しないようにする。

差し止める - 進行中のモノ、コトの中に入って、少なくともしばらくは進行しないようにする。

せき止める - 流れを堰(せき)のようなもので止める。

つきとめる - 何かを探し出す。<あちこち突いて隠れている目当てのものを探し出し>の意か。

つなぎとめる - モノ、コトをつないで離れて行かないようにする。

取りとめる - 例: (1) とりとめもない話。<取りとめる>は話に制限を加えて勝手にどんどん進まないようにする、特定の話題から離れていかないようにする。(2) 命を取りとめる。なんらか対処して命が少なくともしばらくは再び去って行かないようにする。

引きとめる - 引いて、あるいは掴んで少なくともしばらくは離れていかないようにする。 <引いて>はこの場合物理的には<前に動いていくモノを手前に引いて>だが、比喩用法もある。

基本的には<一時的に動かないようにする>という意味が多い。物理的には<動かないようにする>とは<動き>に対して反対方向の力をかけたり、摩擦(抵抗)を多くしたり、流れに対して障害物を置いたり、動かない固定したモノにつないだりすることだ。

<車を止める、停める>は英語では to stop the car でいいと思うが、ドイツ語では mit dem Wagen anhalten という言い方が辞書にあり、直訳すれば<車で止まる>になり、かなり変テコな言い方だ。だが、少しよく考えてみると(これも変テコな言い方だ)、車は自分の手や体で直接動きを止めるわけではない。ブレーキをかけることによって<止める(他動詞)>または<止まる(自動詞>のだ。

<車を泊める>は英語では to park the car だ。 しばらく前に別のポストで英語の<to hold>について書いたが、<to hold>には<to stop>の意味もある。(*)

 (*) sptt Notes on Grammar ”<to hold > と<持つ>”


sptt



Friday, May 23, 2014

日本語の自動詞、他動詞-12、移動動詞-2


自動詞、他動詞ポストの第12弾目で、かつ移動動詞の第2弾。いわゆる” <を>をとる移動動詞 ”についてはこれまでも自動詞、他動詞ポストまたは他の関連ポストでいろいろ調べ、考えてきたので必ずしも第2弾と言うわけではないが、ここで中間まとめ報告することにした。前回のポスト ”自動詞、他動詞-11、Going my way、<わが道を行く>” の続きでもある。調査ポイントは ”自動詞の移動動詞がなぜ<を>をとるか” だ。


1.移動、移動動詞とは何か?

<移動>は文字どおりでは<移り><動く>だが、空間的な<移る>は時間の経過と共に<動き>がともなうので大和言葉では<移る>だけでいいだろう。時間的な<移る>は必ずしも<移動>はともなわないので、ここでは原則として空間的な<移る>に限る。<移る>は普通<AからBに移る>として使う。また<移る>は<移す>という対応する他動詞がある。

(1) 事務所が移る - <移る>自動詞
(2) 事務所移る - <移る>は自動詞扱い
(3) 事務所を移す - <移す>は他動詞
(4) 椅子を移る - <移る>は自動詞扱い
(5) 椅子を移す - <移す>は他動詞

(1)事務所が自分で移るわけではないので、少し考えるとおかしいが、こう言える。<事務所が移リました>とも言える。)英語では Our office is moving. とはあまり言わず普通はWe are moving. だが事務所(office, our office)表面にでてこない。この差は、短い文にもかかわらず、大きい。一方、<事務所が移リました>とも言え、これは英語でも our office (has) moved. と言えそう。
上記(2)と(3)の意味上の差は微妙だ。微妙だが(2)、(4)が自動詞的な感じ(AからBに移る)なのに対して(3)は事務所が動作、行動の対象化されて他動詞的な感じだ。だがこの場合も事務所そのものを運んで移すわけではないので、動作、行動の対象化度合いは強くない。自動詞<移る>の意に引かれるている感じだ。(5)例は対象が人が移せる対象の椅子なので違和感なく他動詞と感じる。自動詞と他動詞の差は、日本語文法では使われないかも知れないが、受身形にした場合<事務所が移られる>とは言えず<事務所が移される>になることだ。かなりややこしいが、これがいわゆる移動動詞の一面だ。

車(クルマ、自動車)の場合を調べてみる。車は運転して自分で動かすが、椅子のように十分の手で動かすわけには行かない。

車を移る  - <移る>自動詞
車を移す - <移す>は他動詞
車を動かす - <動かす>は他動詞。
車を運転する -  <運転する>は他動詞

<車を移る>は<車を移す>ではなく<A車からB車に乗り移る>ことだ。あるいは<A車を離れてB車に行く(移る)> ことで、自動詞性が強い。A車はこの場合動かす対象ではなく場所になる。これを応用すると、

<事務所移る>は<A事務所離れてB事務所に行く(移る)>ことだ。

 さて、移動の<移>のない<動>の大和言葉<動く>も<を>とる自動詞だ。名詞(体言)形の<動き>はよく使われ、かついい大和言葉の代表の一つだ。カメラ屋の宣伝文句ではないが<動きをとらえる>はいい大和言葉だ。物理的には<動く>は時間の経過とともにあるモノの位置が変化することだ。だが特定方向への方向性は弱く、したがって<移る>移動性も低い。

そこ動くな。

と言うが

そこから動くな。

とも言えるし、実際言うこともあるようだが意味は微妙に違う。

<そこを動くな>は<そこを>と<を>が使われているため<動くな>の直接対象のように感じられ<動く>は自動詞ながら、自動詞性が薄い。一方<そこから動くな>では、<そこ>のあとに<を>ではなく<から>が使われているため<動く>の自動詞性が強いようだ。 この<動く>は<離れる>、<去る>の意に近い。<離れる>も<去る>も

そこを離れるな。
そこを去るな。

と<を>とる言い方がありが、

そこから離れるな。
そこから去るな。

と<から>をとる言い方も可能だ。ただし<そこを去るな>、<そこから去るな>はあまり聞かない。<そこを離れるな>、<そこから離れるな>ほどは聞かない。いづれにしても<離れる>、<去る>は<を>をとるが、自動詞的だ。

また<動く>が<動き続ける>と継続、連続状態が可能なのに対し<離れ続ける>、<去り続ける>は特殊な場合を除き基本的にダメだ。 さらに

そこで動くな。

と言う場合もあろう。

<そこで動くな>はもう少し丁寧にいえば<そこでじっとしていろ>、凄(すご)みを効かせれば<そこでじたばたするな>とでもなるか。<そこで動くな>も<で>が使われているため<動く>は自動詞性が強い。

<動く>は一般性が高く<AからBに動く>と言えるが、<離れる>、<去る>は<AからBに離れる>、<AからBに去る>と言えなくはないがあまり言わず、<移る>移動の動作とは言いにくい。<そこで離れるな>、<そこで去るな>は変だ。<動く>は移動の動詞と言えるが<移り>性は弱く、本来の基本的な意味では<機械(ロボット)が動く>、<虫が動く>、<人(人影、死体)が動く>のように使われ、<移る>移動の動作ではない。また<動きまわる>とはいえるるが<離れまわる>、<去りまわる>はまったくダメだ。<動く>には応する他動詞<動かす>がある。<そこを動かすな>は<そこを動くな>と明らかに意味が違う。<そこを>を<そこ>は対象をいうよりは場所だ。<動く>も<を>をとるが自動詞性が強い。

英語の<to move> は自動詞/他動詞の両刀使いで、さらに名詞になる中国語並みのスーパー単語だ。名詞形には movement というのがあるが、商品の宣伝文句(多くは気を引く口語)では名詞形の move がよく使われる。

We follow(catch)any move you make.

これは大和言葉の<動き>が好まれるのと同じようなところがある。繰り返しになるが<動く>は一般性が高く、かつ後で述べるが重要かつ基本的な大和言葉だ。

ところで、もう一つ<を>とる移動または移動動詞の仲間に<越(超)える>、<越(超)す>、<過ぎる>、<通る>、<渡る>がある。これらは物理的には移動がともなうが、主要な意味は<xx 越(超)える、越(超)す、過ぎる、通る、渡る>で対象、場合によって目的とも言える。英語では<自動詞 across、over, through xx>の形式。

方向といえば<向く>と言う自動詞がある。移動性はないが方向性は抜群だ。なにせ<向く>そのものだ。そして<xx を向く>と言うように<を>をとる自動詞で、ある固定した場所での<向く>と言う<動き>、動作だ。方向を示す場合は<xx に向かって yy する>と<に>になる。

以上から、例は少ないが<を>をとる移動動詞には

1)方向性がある<移り>の動作、運動自動詞 - xx 移る

2)基本的な意味の<動き>の動作、運動自動詞 - xx 動く

3)移動と言うよりは瞬間的な動作自動詞 - xx 離れる

4)目的のような対象がある移動自動詞 - xx 越(超)える、越(超)す、過ぎる、通る、渡る

の4種があることになりそう。

もう少し例を探してみる。

1)方向性がある<移り>の動作、運動自動詞

a)方向性が強い移動の自動詞

AからBに移る

行く - AからBに行く。    わが道を行く。
来る - AからBに来る。   長い道(のり)を来る。
帰る - AからBに帰る。   暗い道を帰る。
戻る - AからBに戻る。   今来た道を戻る。

前後(方向)関係
進む - AからBに進む。   原野を進む。
さがる - AからBにさがる。  一番前から二番目(うしろ)にさがる。
退(しりぞ)く - AからBに退く。  戦場を退く。(戦場から退く、もOK)

上下(方向)関係
上がる - AからBに上がる   階段を上がる
上(登)(のぼ)る - AからBに上(登)る   急坂を上(登)る、階段を上(登)る
下がる - AからBに下がる    一番上から二番め(下に)にさがる。
下(くだ)る - AからBに下(くだ)る   急坂を下る、
降りる -  AからBに降りる   階段を降りる。電車を降りる(電車から降りる、もOK)

<山に登る>が普通で<山を登る>はややおかしいが、まちがいではない。
<山からおりる>が普通で<山をおりる>はややおかしいが、これもまちがいではない。
 一方
<山をくだる>が普通で<山からくだる> はややおかしいが、これまたまちがいではない。

以上の微妙な違いは山を目的(たとえば山頂)と見るか、山全体を対象また山登りを工程(たとえば山道)として見るかの違いに在るようだ。<山>を<山頂>、<山道>に変えてみる。

山頂に上る - OK、 山頂を登る - ダメ、
山頂からおりる- OK、 山頂をおりる - ダメ、
山頂からくだる - OK、 山頂をくだる - ダメ、

山道に上る - ダメ、 山道を登る - OK
山道からおりる- ダメ、 山道をおりる - OK
山道からくだる - ダメ、 山道をくだる - OK

差は歴然としている。

 <おりる>、<くだる>、<さがる>に差があるが、いずれも方向は下向き。<落ちる>、<降る>と言うのもある。方向が上向きでは<のぼる>と<あがる>がある。

飛行機(鳥)がおりる、おりてくる - OK
飛行機(鳥)がくだる、くだってくる - ダメ

川の水は山頂からおりてくる - ダメ
川の水は山頂からくだってくる - OK

階段の<のぼりーおり>
エレーベータの <のぼりーおり>

<のぼり-くだり>の隅田川 - 川の<のぼり-くだり>
山道の<のぼり-くだり>
鉄道路線の <のぼり-くだり>
エスカレータは上記3例から類推する<のぼりーくだり>だが、エレーベータから類推すると<のぼりーおり>で、どちらでもいいようだ。

温度の<あがりーさがり>
株価の<あがりーさがり>

----

方向性のある移動自動詞だが<を>がとれない動詞がある。

浮かぶ -  AからBに浮かぶ、はやや変で、普通は<xx に浮かぶ>、<xx から浮かんで来る>だろう。
沈む - AからBに沈む、もやや変で、普通は<xx に沈む>、<AからBに沈んで行く>だろう。

b)方向性が弱い移動、<動き>自動詞

AからBに動く

動く - AからBに動く   ここを動く (ここから動く、もOK)
歩く -  AからBに歩く   道を歩く (道の上を歩く、もOK)
走る - AからBに走る   運動場を走る(運動場の上を走る、はダメ。運動場の中を走る、はOK)
飛ぶ - AからBに飛ぶ  空を飛ぶ(空の中を飛ぶ、もOK)
泳ぐ - AからBに泳ぐ、はやや変で、普通はAからBに泳いで行く(来る)だろう。 <川を泳ぐ>、<海を泳ぐ>はダメだが、<無重力空間を泳ぐ>、<世間をうまく泳ぐ>という言い方がある。また<海の中を泳ぐ>は問題ない。
もぐる - AからBにもぐる、はやや変で、普通は<Bにもぐる(水にもぐる)>、<AからBにもぐって行く(来る)>だろう。<水をもぐる>、<海をもぐる>はダメだが、<水(海)の中をもぐる>は問題ない。


2)基本的な意味<動き>の動作、運動自動詞

動く - ここを動く (ここから動く、もOK)

<動く >以外の自動詞で<を>とる動詞は少ないようだ。

回(まわ)る - 世界を回る。<回る>は特定方向性は低い、またはないが移動性は高い。特殊な方向性だ。<動きまわる>は円周上を動くわけではなく、動きの方向はいわば不定だ。

あっちこっち動きまわる。

では<を>が使われるが、

 あっちこっち動きまわる。

とも言え、この場合は方向や対象ではなく、不特定の<動きまわる>個々の場所を示している。

  蟻(あり)がテーブルの上動き回っている。



 蟻(あり)がテーブルの上を動き回っている。

と言えそうだ。むしろこちらの方が日本語らしい。

<震(振)るえる>、<ゆれる>は基本的には<を>がとれない。方向性、移動性とも低い。<震(振)るえる>、<ゆれる>は仔細に見れば<AとBの間を行った り来たり>することで、物理学ではきわめて重要な運動だが、方向性から見ると<まわる>と同じく移動性は高いが特殊な方向性だ。<震(振)るえる>に関連して<触れる>という動詞がある。

触れる - xx に手で触れる、といういい方があり、自動詞扱い。 <xx に手触れる>とも言い、むしろこちらが日本語として自然だ。<xx を手で触れる>とも言いそうだが、これはおそらく英語の他動詞 touch に影響された翻訳調日本語で、純正日本語ではない。

xx が手に触れる - 明らかに自動詞

(だれだれが)xx に手触れる - <を>をとるので他動詞のように見えるが自動詞。この場合<触れる>の目的語は<xx>で<に>をとるので間接目的語(必ずしも適当な文法用語ではないようだ)。<手を>の<を>は上に例のように<で>で置き換えられ、手段、道具を示し、明らかに直接目的語ではない。だが<を>をとるので目的語のようにも感じられる。

英語では

(だれだれ、単数) touches xx with the hand. (この場合、his hand は間違いだろう)

になるか。調べていないが他の言語(たとえばドイツ語)ではまた別の表現だろう。<触れる>は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、と並んで五感動詞の一つで、やや特殊。また<触れる>と似た動詞に<さわる>がある。<触れる>については別のポストで再検討予定。ここでは<を>は<で>で置き換えられることに注目。ただし方向性は弱い。

また<触れる>は大和言葉では<振(ふ)れる>と同じで<ふれる>のひとつ。、<振(ふ)るえる>は仲間だ。したがって、感覚動詞の印象が強いが<動き>の動詞でもある。物理的には見る、聞く、嗅ぐ、味わう、もすべて振動に関係している。したがって<動く>はきわめて基本的かつ重要な動詞で、しかも自動詞だ。

以上から<を>をとる自動詞は方向性と関係がありそう。 - 別途検討

移動動詞でなくなるが<動く>の反対の意味、あるいは移動、<動き>の終わりの意の自動詞では<休む>、<止まる>がある。<学校(会社)を休む>の<休む>は他動詞扱い。<xx を止まる>という言い方はない。<終わる>、<終える>に関しては別のポストでやや詳しく調べて書いた。(*)

行動、動作(動き)をともなう<遊び>の動詞はいうまでもなく<遊ぶ>だ。 <遊ぶ>は<動く>と同じで元来の自動詞としては方向性がない。<遊ぶ>は<を>がとれない。普通は<xx て(で)、して遊ぶ>、あるいあは<xxで遊ぶ>だ。

すごろく(カルタ、トランプ、ブランコ)を遊ぶ、とは言わない。

走って遊ぶ
野球をして遊ぶ
まりをついて遊ぶ
まりつきで遊ぶ

家の外で遊ぶ(家の外を遊ぶ、はダメ)
体育館で遊ぶ、体育館の中で遊ぶ、(体育館の中を遊ぶ、はダメ)

英語でも to play は基本的のは自動詞。

to play with a ball
to play outside (in the gym)

だが次のような例がある。

to play baseball, tennis (冠詞がない)
to play the ball

英語ではこの場合は他動詞扱い。普通の辞書には特に説明はないが、to play with a ball と to play the ball はどこが違う?

to play the piano, the violin (定冠詞がある)

英語ではこの場合も他動詞扱い。これは日本語では<ピアノ(バイオリン)を弾く> で<遊ぶ>が用いられない。<弾く>は他動詞だろうが、何かおかしい。実際英語でもややおかしい。この少しのおかしさは to play が元来自動詞であるためだ。

 <遊ぶ>(to play)に関連するが<踊(おど)る>と言う動作動詞がある。基本的には方向性はない。<踊りを踊る>は特殊な表現。<舞を舞う>と言うのもある。<ワルツを踊る>は<を>をとるが<踊る>は自動詞だろう。


3)移動と言うよりは瞬間的な<動き>を示す自動詞

Aから離れる

動く - Aから動く --> Aを動く(OK)
離れる - Aから離れる --> Aを離れる(OK)
去る - Aから去る --> Aを去る(OK)
出る - Aから出る  --> Aを出る(OK)   家を出る、牢獄を出る
跳ぶ - Aから跳ぶ --> Aを跳ぶ(ダメ)、Aを跳び越えるはOK
跳(はね)ねる(自動詞) - Aから跳ねる  --> Aをはねる(ダメ)、Aを跳ね返る、はOK。

別のポストで書いたが<離れる>関連の日本語の自動詞は多い。

離す - 離れる
切る - 切れる
裂(さ)く - 裂ける
割(さ)く - 割(さ)くける
割(わ)る - 割れる
分ける - 分かれる
散らす - 散る
脱ぐ - 脱げる
取る - 取れる (ボタンが取れる)
落とす - 落ちる
外(はず)す - 外れる
は ぐ - はげる - はがれる
そぐ - そげる
もぐ - もげる
そらす - それる (離れて行く)
降ろす - 降りる
避ける - 避ける 手もとの辞書では自動詞/他動詞となっているが、用例では区別がされていない。

以上のうち<を>がとれる自動詞は

xx を落ちる      試験を落ちる(試験に落ちる、試験で落ちるが普通)、試験から落ちる、はダメ。都(みやこ)を落ちる(都落ち)。
xx を外れる  役職を外れる、 役職から外れる、はOK。
xx をそれる     的(まと)をそれる、 的(まと)をそれる、もOK.
xx を降りる    山(山道)を降りるで、すでに取り上げてある。 電車を降りる。役職を降りる。電車から降りる、役職から降りる、もOK。
xx を避ける(自動詞として)  危険を避ける、 危険から避ける、はダメ。

いずれも<離れる>の意があり、<xx を>を<xx から>で置き換えられる。これは文法上のルールといえ、重要なことだ。

<危険を避ける>は<危険から避ける>がだめなのでこの<避ける>は他動詞か。普通<危険から身を避ける>のように使われる。この使い方は見方によっては自動詞または自動詞もどきと言える。どういう見方かというと、日本語だけ見ていてはわかりにくいが、次のように考える。翻訳調だが、

 私は我が身(自分)を危険から避ける。
 太郎は自身(自分)を危険から避ける。

という言い方でいわゆる<再帰動詞>だ。ここで<我が身を避ける>、<自身を避ける>の<避ける>を自動詞と見なすのだ。

話がどんどん脇へそれてしまうが、もう一つ例をあげる。ドイツ語の例で

Das Kind hält sich am der Mutter.

日本語では<子供が母親にしがみつく(ついている)>とでもなろうか。

Mutterは女性名詞で、定冠詞は die(一格)、der(2格)、der(3格)、die(4格)と変化する。また前置詞 am は3格(場所を示す場合)、4格(方向を示す場合)をとる。したがって、上記例文の der Mutter は3格になる。ところで halten (hält の原形、不定詞)は他動詞で sich という直接目的をとっている。少し、あるいはよく考えると、 am はしがみつく(ついている)場所を示しているようでもあり、方向を示しているよいうでもある。

もう一つ例をあげる。

Halt dich am Geländer an.

Geländer はスキーのゲレンデではなく<手すり>のこと。中性名詞で am Geländer は an dem Geländer で3格。dich は上の例と同じく直接目的。動詞は分離動詞の anhalten だ。

日本語の意味としては<お前、手すりにつかまれ>だ。

おもしろいのは、直訳すると<お前、自分(の体)手すりささえろ>になる。この言い方は、ドイツ語(ドイツ語を普通にしゃべる人)からすると、<出すりにつかまってなにをするのだ>ということになりそうだ。<手をつく>も同じで<手をついてなにをするのだ>になるが、これは日本人からすると<、自分(の体)ささえる>ことになる。

以上のドイツ文2例はおもしろいが、ここでは文法上(あるいは実際上)3格をとる、というにとどめておく。後で再検討。

一方<離れる>の反対の<動き>ともいえるの<付く、着く、就く>は<を>がとれない。

xx に着く     <を>はとれない
xx に達する  <を>はとれない

したがって、<離れる>関連の<を>をとる自動詞の判別として<xx を>を<xx から>で置き換えてみる方法があることになる。そしてこのばあい、初めのほうで<動く>に関連し、このポストのポイントとして述べたが、<xx を動く>は<を>が使われているため<動く>の直接対象のように感じられ<動く>は自動詞ながら、自動詞性が薄い。一方<xx から動く>では、<を>ではなく<から>が使われているため<動く>の自動詞性が強い、と言うことになる。


4)目的のような対象がある移動自動詞

越(超)える - Aを越える
越(超)す - Aを越す
過ぎる - Aを過ぎる
通る - Aを通る
渡る - Aを渡る
くぐる - Aをくぐる(門をくぐる)
またぐ - Aをまたぐ。 手もとの辞書では他動詞扱い

<またぐ>が他動詞扱いなのはおもしろい。おそらく、<xx を越(超)える、越(超)す、過ぎる、通る、渡る>が英語では<自動詞 across、over、through xx>の形式なのが影響しているのではないか。そして<またぐ>に対応する英語の自動詞がみつからなかったためかも知れない。

越(超)える、越(超)す - to go across xx
過ぎる、通る - to go (to pass) trough xx
渡る - go across (over)xx

だが同じような意味で他動詞もある。

越(超)える、越(超)す  - to exceed


2.方向性について

ここで方向性について考えてみる。方向と言うと上、下、前、後(うしろ)、右(わき)、左(わき)、斜め(右斜め前、左斜め前、右斜め後ろ、左斜め後ろ)、内(うち)/ 中(なか)、外(そと)、さらには<まわり>、間(あいだ)があり、下記のように<を>がとれるように見える。

(xx の)上を行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)下を行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)前を行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)後ろを行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)右斜め前を行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)内 / 中を行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)外を行く、歩く、進む、飛ぶ
(xx の)まわりを行く、歩く、進む、飛ぶ
(AとBの)間を行く、歩く、進む、飛ぶ

だがこれらは

道を行く、歩く、進む
空を飛ぶ(空想を働かせれば、<空を行く、歩く、進む>とも言える)

とは事情が違うようだ。上、下、前、後、右、左、斜め、内 / 中、外、まわり、間(あいだ)は場所(位置)、方向を示す名詞(体言)なのだ。そして日本語では名詞(体言)として使えるだけで、副詞としては使え ず、副詞として使うには<を>、<に>、<へ>などの助詞が必要なのだ。そして<に>、<へ>が方向を示すのに対して、<を>は動作(動き)が行 われている場所(位置は方向性、相対性がある)を示す。

この差は名詞に格変化のあるドイツ語が多いに参考になる。 ドイツ語いくつかの前置詞は名詞に3格(間接目的格)と4格(直接目的格)の両方をとるものがあり、3格(間接目的格)の場合は動作(動き)が行われてい る場所を示し、4格(直接目的格)の場合は動作(動き)の方向を示すという文法上の法則がある。
3格(間接目的格)の場合は動作(動き)が行われている場所を示す、は日本語の助詞<で>が代表。
4格(直接目的格)の場合は動作(動き)の方向を示す、 は日本語の助詞<に>と<へ>が代表。

ドイツ語で言う3格を示す <で>はドイツ語で言う4格を示す<を>で置き換えられる。くどいようだが、ここが今回のポストのポイント。

上で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 上行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く 
下で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 下行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く 
前で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 前行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く 
後(うしろ)で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 後(うしろ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く 
右(わき、よこ)で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 右(わき、よこ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く 
右斜め前で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 右斜め前行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
左斜め後ろで行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> 左斜め後ろ行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
内 / 中で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く  ---> 内 / 中行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
外で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く  ---> 外行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
まわりで行く、歩く、進む、飛ぶ、動く  ---> まわり行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
間で行く、歩く、進む、飛ぶ、動く  ---> 間を行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く

 と言える。むしろ日本語では<を>が自然で<で>を使うと変な場合がある。ここで<を>は動作(動き)がおこっている、行われている場所を示している。

ところで Collins' German-English Dictionary の文法編の前置詞の項目で<前置詞には名詞に3格(間接目的格)と4格(直接目的格)の両方をとるものがある>と言う解説の中でよく理解できない内容の次の解説を見つけた。

1)(takes) The accusative when movement towards a different place is involved.

これは<4格(直接目的格)の場合は動作(動き)の方向を示す>ということだ。これは理解できる。日本語では助詞<へ(に)>が使われる。日本語による英文法解説では、<xx に yy を>は間接目的語(3格)を示すので、発想の転換が必要。

理解しにくいのは

2)(takes) The dative when position is described as opposed to movement (1) or when the movement is within the same place (2).

下線部(2)は

上述の<xx で行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く>の<で>に相当する。日本語では<を>のほうが自然の場合が多い。<xx を行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く>。したがって、はたまたくどいようだが、<を>は4格というよりは3格を示す。ここがこのポストのポイントだ。

下線部(1)の理解は難しい。物理で言えば<作用-反作用>とか<摩擦時の抵抗>のような関係だろう。おそらくこれは前に取り上げたドイツ2例が参考になろう。繰り返しになるが、


Das Kind hält sich am der Mutter.

子供が母親にしがみつく(ついている)。

 der Mutter は3格。halten (hält の原形、不定詞)は他動詞で sich という直接目的をとっている。少し、あるいはよく考えると、 am はしがみつく(ついている)場所を示しているようでもあり、方向を示しているよいうでもある。

Halt dich am Geländer an.

お前、手すりにつかまれ

am Geländer は3格。dich は上の例と同じく直接目的。動詞は分離動詞の anhalten だ。



<しがみつく>も<つかまる>対象(母親、手すり)に働きかけるが、対象は基本的に動かないが、<しがみつく>、<つかまる>方向とは反対方向の(反作用の)見えない力が働いている。

ドイツ語の話が続いてしまうが、<前置詞には名詞に3格(間接目的格)と4格(直接目的格)の両方をとる>前置詞は

an        xx の上で;  xx の上に、へ
auf        xx の上方で;  xx の上方に、へ
hnter                 xx の後ろで;  xx の後ろに、へ
in         xx の中 / 内で;  xx の中 / 内に、へ
neben                xx の脇で;  xx の脇に、へ
über       xx の向こうで;  xx xx の向こうに、へ
unter      xx の下(方)で;  xx の の下(方)に、へ
vor       xx の前で;  xx xx の前に、へ
twischen    xx の間で;  xx xx の間に、へ

Dative (3格、間接目的格)だけとる前置詞は

aus       xx (から出た)外へ、に
außer      xx を除いて
bei       xx の近くで
gegenüber        xx に対して
mit        xx とともに、 xx で(手段)
nach       xx の後(あと)で(時間)、 xx 向かって、 xx したがって
seit                  xx から、以来(時間)
von        xx から(場所)
zu        xx へ、に (方向)

基本的には間接目的がらみで、

aus       xx (から出た)外へ、に
zu        xx へ、に (方向)
von        xx から(場所)

はなじみやすいが、

außer      xx を除いて
gegenüber        xx に対して、xx に反対して

は4格(直接目的)を従えるような気がする。 gegenüber は gegen + über で über は3格と4格をとる。また<xx に反対して>の意で使われるのが多いようだ。さらに<gegenüber xx>という前置詞ではなく<xx gegenüber >の位置(いわば後置詞)での使い方が普通。  

一方 Accusative (4格、直接目的格)だけとる前置詞は

durch              xx を通って、 xx を貫いて、 xx を抜けて
entlang     xx に沿って
für        xx のために、 xx にとって
gegen      xx に対して、 xx に逆らって
ohne       xx なしに
um        xx のまわりで、 xx のまわりへ、に
wider      xx に反して、 xx に対して

für は英語の影響からか、4格ではなく、3格をとりそう。    

今回のポストのポイント ”自動詞の移動動詞がなぜ<を>をとるか” を考えると

zu  が3格をとり<xx へ、に (方向) >を示す(実際には暗示する)。
gegenüber  が3格をとり<xx に対して>を示す。
durch  が4格をとり<xx を通って、 xx を貫いて、 xx抜けて>を示す。
gegen が4格をとり<xx に対して、(xx に面して、も含む)、 xx に逆らって>を示す
wider が4格をとり<xx に反して、 xx に対して>を示す。

が関連ありそう。特に

durch  が4格をとり<xx を通って、 xx を貫いて、 xx を抜けて>を示す。
gegen が4格をとり<xx に対して、(xx に面して、も含む)、 xx に逆らって>を示す。
wider が4格をとり<xx に反して、 xx に対して>を示す。

がヒントになるのではないか? durch  が示す(実際には暗示する)ところは<xx 通って、 xx 貫いて、 xx 抜けて>で、行く、来る、進む、走る、飛ぶ、などの自動詞と自然につながり、かつ4格をとる。

特殊な方向性を含めて特定な方向性は否定できる。不定の方向性だ。

あちこち(あちらこちら、あっちこっち)
どこ(疑問でもあるが、疑問は不定だ)

試してみる。

あちらこちらで行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> あちらこちら行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く

<で>はまったくダメ だ。<を>は少しへんなのもあるが基本的にはOK。
 
どこで行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く ---> どこ行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く

<で>は

どこで行く、はダメ。強いていえば<どこで行き始める>の意になる。
どこで歩く、はOK。
どこで進む、は<どこで進み始める>の意になる。
どこで退く、は<どこで退き始める>の意になる。
どこで飛ぶ、はOK。
どこで動く、は<どこで動き始める>の意になる。

 <を>は<どこを退く>がおかしいが、他はOK。

上、下、前、後、右(わき)、左(わき)、右斜め前、内 / 中、外、まわり、間、あちこち、どこ遊ぶ、は基本的におかしい。
上、下、前、後、右(わき)、左(わき)、右斜め前、内 / 中、外、まわり、間、あちこち、どこ過ぎる、はOK。

一方

上に(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
下に(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
前に(へ)行く、歩く、進む、飛ぶ、動く。 <前に(へ)退く>は当然ながらダメ。
後(うしろ)に(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く。 <後(うしろ)に(へ)進む>はよさそう。
右(わき、よこ)に(へ)行く、歩く、進む、飛ぶ、動く。 <右(わき、よこ)に(へ)退く>は変だ。
右斜め前に(へ)行く、歩く、進む、飛ぶ、動く。 <右斜め前に(へ))退く>は変だ。
左斜め後ろに(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く。 <左斜め後ろに(へ)進む>はよさそう。
内 / 中に(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く。 <左斜め後ろに(へ)進む>はよさそう。
外に(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く。 <左斜め後ろに(へ)進む>はよさそう。
まわりに(へ)行く、歩く、進む、飛ぶ、、動く。 <まわりに歩く、進む、飛ぶ>はおかしい。
間に(へ)行く、歩く、進む、飛ぶ、動く。
あちこちに(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く
どこに(へ)行く、歩く、進む、退く、飛ぶ、動く

以上は動作(動き)の方向を示している。

これは

上、下、前、後(うしろ)、右(わき)、左(わき)、右斜め前、まわり、間、あちこち、どこに(へ)遊ぶ。<あちこちに>遊ぶ以外はダメ。<遊ぶ>は基本的に方向性がない。
上、下、前、後(うしろ)、右(わき)、左(わき)、右斜め前、まわり、間、あちこち、どこに(へ)越(超)える。<下に(へ))越(超)える>、<まわりに(へ)越(超)える>以外はなんとOK。だが、<xx を越えて上、下 . . . . . . . . に(へ)行く>と言う方が自然だ。
上、下、前、後(うしろ)、右(わき)、左(わき)、右斜め前、まわり、間、あちこち、どこに(へ)過ぎる。これはすべてよさそう。だが、これも<xx を過ぎてて上、下 . . . . . . . . に(へ)行く>と言う方が普通だ。


sptt












Wednesday, May 21, 2014

日本語の自動詞、他動詞-11、going my way、<わが道を行く>


自動詞、他動詞ポストの第11弾。第10弾でとりあえずやめようと思ったが、おもしろいので続けることにした。たいした意味はないが、また頭に<日本語の>をつけることにした。

<Going my way>は日本語では<わが道を行く(いく、ゆく)>だ。英語の<going my way>で<to go>は他動詞のように見えるが、<to go (back)home>(家に帰る)の home と同じで<my way>は副詞扱いで<to go>はあくまで自動詞。一方日本語の方は<わが道を行(ゆ)く>の<行く>は<を>とるが、<道を歩く>の<歩く>と同じで、<を>をとる移動動詞として、これまた自動詞扱い。

<を>をとる移動動詞は多分に英文法の影響を受けているようで、to go、 to walk が自動詞だから日本語の<行く>、<歩く>も自動詞でないとまずい、といった考え方だ。

<を>をとる自動詞に関連したポスト<日本語の自動詞、他動詞-3、移動動詞>(ほかのポストもある)で次のように書いた。


移動動詞を 移動に関係する動詞とすると<歩く>、<走る>、<飛ぶ>、<流れる>、<泳ぐ>、<移る>、<動く>、<運ぶ(他動詞)>などがある。以上は方向性がない。さらにもっともよく使う<行く>、<来る>があり、<上(あが)る>、<下がる>さらには<入る>、<出る>がある。以上は方向性がある。



英語と名詞格変化のあるドイツ語と日本語とを比較してみる。

英語<to go home> ドイツ語<nach Hause gehen>  日本語<家に帰る>

英語が特殊といえそうだが<home>を副詞ではなく<方向を示す格>と見れば英語、ドイツ語、日本語とも大体同じ構造で<行く>の自動詞は動かしがたい。

<to go my way> の方はやや複雑だがおもしろい。

始めに、”<to go (back)home>(家に帰る)の home と同じで<my way>は副詞扱いで” と書いたが、手もとのOxford進階(advanced)英漢辞典では、<to go>を自動詞としながら例外的に<V +N>、つまり<動詞+目的語>としている。自動詞の場合、普通は単独仕様<V>か前置詞、副詞を伴う<V+adv/prep>で、<V+N>の場合の<V>は原則として他動詞。<my way>がどうもクセモノのようだ。なお、Oxford進階(advanced)英漢辞典では辞書の動詞解説では自動詞、他動詞の区別をしておらず、<V>、<V+N>、<V+adv/prep>を使っている。ただし、英文法解説のページでは自動詞、他動詞を使って説明している。

名詞格変化のあるドイツ語の場合はどうか? 相良大独和辞典の<gehen(行く、歩く)>の項目の説明(かなり長い)のなかの15番目に a)、b)、c) の解説があり、 c) で次のような説明がある。

<2格とともに>
sines Weges gehen  -  (他人に関係なく)彼自身の道を行く
geraden Wegs gehen  -  まっすぐ行く
geh deiner Wegs  -  去れ

ところが名詞<Weg>の項目では次のような例文がある。

seinen Weg gehen   -  わが道を行く。 <seinen Weg>は4格(対格)だ。

以上から英語、ドイツ語とも日本語で言えば<行く>は<を>とれる自動詞ということになる。したがって、<を>をとる日本語の(自動詞)移動動詞、というのは必ずしも日本語の特殊事情でもなさそうだ。もう少し調べてみる。

英語の場合

Oxford<進階(advanced)英漢辞典>の例文

<to go my way>は一般化すると< to go one's way>。<I am going your way.>という例文があり<あなたの道を行く>--><あなたと同じ道を行く>ー--><あなたと一緒に行く>という意味だ。<my way>もそうだが、この<your way>も直接目的語とは言い切れない。ドイツ語の2格に相当するのではないか?<a way>とか<the way>でないのがミソだ。

<to walk>は方向性がない自動詞。 <to walk the streets>という例文があり<to walk around the streets> と解説されている。

ドイツ語の場合

すでに紹介した 相良大独和辞典の<gehen(行く、歩く)>の項目の説明のなかの15番目のa)、b) はどういう内容かというと、

a) <空間、時間の程度を示す4格と共に>

drei Meilen gehen (3マイル歩く
zwei Stunden gehen (2時間歩く)

3マイル歩く>とはいえるが<2時間間歩く>はおかしい。

b)  <歩行、進行の内容を規定する4格と共に>

denselben Weg gehen (同じ道を行く)
eine schweren Gang gehen (重い歩みを運ぶ)

ドイツ語では3格(与格)が間接目的格、4格(対格)が直接目的格。

<重い歩みを運ぶ>は<重い足取りで歩く>の方がいいだろう。ただし<重い歩みを運ぶ>は<を>があり、直接目的格を重視した(または目的格に引きずられた訳)。 <重い足取りで歩く>は<で>があり、<歩行、進行の内容を規定する>を重視した訳になる。

さて日本語はどうか? 

街(まち)を歩く
道を歩く
雨の中を歩く
家の外を歩く

太郎の前を行く
花子の後(あと、うしろ)を行く
橋の下を歩く
 
運動場を走る
トラックを走る

空を飛ぶ
雲の中を飛ぶ 

以上すべて<自動詞+を>になっているが、<を>の内容が少し違う。

<街歩く>は<街歩く>に近い。<街を>は<歩く>場所を規定している。<街の上を歩く>はおかしい。<街の中を歩く>はOK。明らかに<街>は目的語ではない。
<道を歩く>も<道を>は<歩く>場所を規定しているが、<道>が直接目的語のようでもある。<道の上を歩く>はOKというか、物理的描写としてはもっと正確だ。<道の上を>は明らかに<歩く>場所を規定しており目的語ではない。
雨の中を歩く>、<家の外を歩く>の<を>は直接目的語を示すものではなく、場所の規定だ。
<上で(に、へ))>、<中で(に、へ)>は英語で言えば前置詞(on、to、in、into、toward)。日本語の場合<歩く>ではさらにまた<を>が加わる。

<太郎の前を行く>、<花子の後を行く>、<橋の下を歩く>の<を>は<前>、<後>、<下>と組み合わさって、これまた<行く>場所を規定している。

<運動場を走る>の<運動場も<走る>場所を規定しているが、<運動場>が直接目的語のようでもある。運動場の上を走る>はおかしい。運動場で走る>、<運動場の中を走るはOKだ。<トラックを走る>は<トラックの上を走る>と言える。

<空を飛ぶ>の<空をも<飛ぶ>場所を規定しているが、<空>が直接目的語のようでもある。<空で飛ぶ>、<空の中を飛ぶ>はおかしい。<雲の中を飛ぶ >はOKだ。<空に飛ぶ>もまあよさそう。

以上から<上>、<中>、<前>、<後>、<下>+<を>は<を>があるが、明らかに場所を規定する。この<を>は場所格といえる。<上>、<中>、<前>、<後>、<下>自体も場所を示すが、基本的には体言で、日本語では助詞の助けが必要。<上>、<中>、<前>、<後>、<下>がない場合も、ある場合ほどではないが<を>は場所格といえるのではないか。目的格と言うよりは場所格だ。


sptt