Thursday, August 30, 2012

場のアスペクト-<行く>と<来る>


アスペクト(Aspect)を拡大解釈して移動動詞の場のアスペクトを考えてみる。

移動動詞を 移動に関係する動詞とすると<歩く>、<走る>、<飛ぶ>、<流れる>、<泳ぐ>、<運ぶ(他動詞)>などある。さらにもっともよく使う<行く>、<来る>があり、<上(あが)る>、<下がる>さらには<入る>、<出る>がある。

<上がる>、<下がる>、<入る>、<出る>も場のアスペクトの要素を持っているが、<行く>、<来る>が場のアスペクトの代表だろう。

 <行く>、<来る>の視点は英語の<to go>、<to come>とほぼ同じだ。<行く>、<来る>は純粋に移動だけを示す以外に<方向>が含まれている。

<行く><to go>
何か(人を含む)が話し手(あるいは主役)のいる地点から目的地へ向かう(向かって今いる地点から)離れて行く。
<離れて行く>アスペクト

<来る> <to come>
何か(人を含む)が話し手(あるいは主役)のいる地点に向かう(向かって近づいて来る)。
 近づいて来る>アスペクト

これは別のところでもいくどか論じているが、<離れる(away)>、<近づく(approaching)>は基本的な認識、表現で<行く><to go>、<来る> <to come>よりも基本的な認識、表現だ。

英語で<I am coming now.>は直訳すると<私は今来るところです>、あるいは<私は今来ているところです>となるが、これは話し手が聞き手の立場に立っての発話、と言う解説がある。<来る>を<行く>に置き換えた<私は今行くところです>あるいは<私は今行っているところです>も<I am coming>とはニュアンスが違う。<来る> <to come>には基本的に 近づく>アスペクトがあるのだ。英語の<to go>にはこの近づく>アスペクトが基本的にない。一方日本語の<行く>は<近づいて行く>とという言い方があるが、この<行く>は<to go>の意味が薄く、<離れて行く>の<行く>とは意味が違う。

他の動詞との組み合わせを検討してみよう。

1)他の一般動詞との組み合わせ

動詞連用形 て + いく
動詞連用形 て + くる    

太郎は働いていく。   太郎はこれから働いていく。  太郎はこれから働いていかねばならない。
太郎は働いてくる。   太郎はこれから働いてくる。(働いたあと戻ってることが予想される)

美代子は見ていく。 

1)美代子は(あるテレビ番組を)見てからいく。
2) 美代子はこれから(あるテレビ番組を)見ていく予定だ。

美代子は見てくる。 

1)美代子は(あるテレビ番組を)見てからくる。
2)美代子は(あるテレビ番組を)見てくる。(見たあともどってくることが予想される)。

いろいろなケースが考えられ、あいまいなものある。いづれにしても残念ながら時のアスペクト感はあるが場のアスペクト感はない。


2)変化を表わす動詞との組み合わせ

人口が増えていく。
人口が増えてくる。

人口が減っていく。
 人口が減ってくる。

3)形容詞 + 変化、生成の動詞<なる>のとの組み合わせ

形容詞 + 動詞<なる>の連用形(なって) + いく、くる

太郎は大きくなっていく。
美代子はきれいになっていく。

太郎は大きくなってくる。
美代子はきれいになってくる。

2)と3)は時のアスペクト感 -時間の経過とともにだんだんXXXになる-が強いが、場のアスペクト感 -離れていく、近づいてくる-も少しはある。

4)他の移動動詞との組み合わせ

他の移動動詞の連用形 + いく、くる

歩く - 歩いていく、歩いてくる
走る - 走っていく、走ってくる
飛ぶ - 飛んでいく、飛んでくる
流れる - 流れていく、流れてくる
泳ぐ - 泳いでいく、泳いでくる

以上は場のアスペクト感-離れていく、近づいてくる-が強く、時のアスペクト感は弱い。面白いのはさらに他の特殊移動動詞<上がる、下がる、入る、出る>などを加えると表現が豊かになる。加える位置は中間。<行く>、<来る>は主動詞ともいえ、最後に来る。また始めの動詞は何らかの変化、生成を示す動詞ではればよく必ずしも移動動詞でなくてよい。

歩き出てくる
走り上がってくる - <かけ上がってくる>が普通。
飛び上がっていく
飛び出していく
流れ出てくる
泳ぎ上がってくる
転がり落ちていく

場のアスペクト感がいっそう強くなっているようだ。

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場のアスペクトをさら検討してみる。ここでは中国語の趨勢補語を使わしてもらう。ここは中国語文法の正式な説明ではなく、勝手に使わしてもらう。動詞に見えるが 中国語文法ではすべて<補語>として扱われている。日本語文法では正式ではないが<複合動詞>と呼ばれているようだ。日本語の<場のアスペクト>は<複合動詞>の中の移動、方向関連の動詞が関連している。

1)中国語文法の単純型方向補語

来 -くる  to come 補語というよりは主動詞
去 -いく     to go  補語というよりは主動詞
 -上がる、のぼる。   英語では動詞ではなく方向を示す副詞<up, upward>が使われる。
 -下がる、くだる、降りる 英語では副詞<down, downward>が使われる。
 -入る。   英語では副詞<in, inward>が使われる。
 -出る。   英語では副詞<out, outward>が使われる。
 -戻る、返る、帰る。   英語では副詞back, backward>が使われる。
 -過ぎる、越す、渡る。   英語では副詞across, over>が使われる。 过马路 - 道を渡る。
 -起きる。   英語では副詞up, upward>が使われる。
开 -離れる・広がる。   英語では副詞apart、away>が使われる。


2)中国語文法の複合型方向補語

単純型方向補語の組み合わせ(来る)、去(行く)は、後にくる。

来 -上がってくる    to come up
 -上がっていく   to go up
来 -下がってくる   to come down
 -下がっていく   to go down
来 -入ってくる       to come in
 -入っていく       to go in
来 -出てくる           to come out
 -出ていく           to go out
来 -戻ってくる        to come back
 -戻っていく        to go back
来 -(障害物を)過ぎてくる     to come across,  to pass and come
 -(障害物を)過ぎていく     to go across,  to pass and go
来 -起きてくる         to rise up

中国語、日本語、英語とも上記の物理的な移動表現以外に比喩的な表現があるが、中国語が特に多いようだ。 したがって中国語は<場のアスペクト>が発達した言語と言えよう。比喩的な表現は<場のアスペクト>を越えて時間を含む他のアスペクトに及んでいる。

おもしろいのは中国語、日本語ではさらに動詞を加えることができることだ。

来 -上がってくる    to come up
跑上去 -駆け上がってくる。 

比喩

他是去年调上来的。 -彼が昇進してきたのは去年ですね。
我说不上来。- 私は言うことができない。 
天黑上来了。 - だんだんと日が暮れてきた。黑は形容詞

去 -上がっていく   to go up

上去 - 駆け上がっていく。


来 -下がってくる   to come down

掉下来了 -落ちてきた。 <掉>は落とす、落ちるの意。厳密には<下に落ちてきた>。
跑下来 - かけ下りてくる。
比喩
哭声低了下来。- 泣き声が小さくなってきた。

 -下がっていく   to go down

跳下去 - 飛び降りる、飛び降りていく。 <飛び降りる>が普通。
掉下去 - 落ちていく
沉下去 - 沈んでいく
比喩
你不在,我活不下去。- あなたなしでは、生きていけない。
天气会冷下去。 - 天気は寒くなっていく。 は形容詞。
他瘦下去了。- 彼はやせていった。

来 -入ってくる       to come in

”进来。” -”Come in.”

走进来 - 歩いて入ってくる

 -入っていく       to go in


来 -出てくる           to come out

”出来。” - ”Come out."
拿出来。 - 取り出す(取り出してくる)。<取り出す>が普通。
我认不出来了。 - 見分けることができなかった。
看出他的意思来。 - 彼のを意思を読み取る。

 -出ていく           to go out

"出去" - ”Go out." 、”Get out."
走出西门去。 - 西門を(から)出ていく。
比喩
他已经说出去了。 彼はすでに話してしまった。

 来 -戻ってくる        to come back

退回来。 - 戻されてくる。
买回来一本书。 - 本を一冊買ってきた(買って戻ってきた)。<買ってきた>が普通。
把本子拿回家来。 - ノートを家に持って帰ってくる。

 -戻っていく        to go back

退回去。-返品する。

来 -(障害物を)過ぎてくる     to come across, to pass and come

来。” -”Come here.” , ”Come over here.”
走过来。 - 歩いてくる。
跑过来。- 走ってくる。
拿过来。 - 持ってくる。
比喩
醒过来。 - 目覚める。


  -(障害物を)越えて、通って、いく     to go across, to pass and go

走过去。 - 歩いていく。
跑过去。 - 走っていく
飞过去。 - 飛んでいく。
拿过。  - 持っていく。

以上は(障害物を)越えてacross>の意味はうすく、むしろある程度の距離が意識されている。

- 持っていく。
拿过- 持っていく。 

比喩
晕过去。 - 意識を失う。
昏过去。 -気を失う。


来 -起きてくる         to rise up

站起来。 - 立ち上がる。立ち上がってくる。<立ち上がる>が普通。
拿起来。 - 手に取る。手に取り上げる。<手に取る>が普通。
抬起头来。- 頭を上げる。 頭を(もち)上げる。頭を上げてくる。<頭を上げる>が普通。

比喩
笑起来。 - 笑い出す。
下起雨来了。 -雨が降ってきた。


上記の補足説明からも分かるように中国語は場アスペクトが発達した言語と言える。日本語の動詞は、上記のいくつかの例からも分かるように、中国語の動詞に比べ三つの動詞を続けるには音節が長すぎるのだ。英語の動詞の音節は長いものが多く、三つの動詞を 続けるのは日本語よりも困難だ。

下去 - かけ降りていく - to run - fall - go --> to run down
跳下去 - 飛(跳)び降りる、飛(跳)び降りていく - to jump - fall - go --> to jump down
走进来 - 歩いて入ってくる - to walk - enter - come --> to walk in


sptt



Friday, August 24, 2012

日本語の時制 (テンス)、アスペクト


A. 日本語の時制 (テンス)

日本語の時制 (テンス)の解説は多分に英文法の影響を受けている。元来日本語では文法上時制はあまり意識されていない。時制を<時間に関連した表現>とすれば、複合動詞(動詞と動詞の組み合わせ)を除き日本語での文法上の動詞の時制は次の二つ。

1. 現在形 - 動詞は終止形
2. 過去形 - 動詞連用形 + <過去>を表す助動詞<た>。

下記に述べるように中立(単純)未来は動詞の現在形がかねる。

1. 現在形
現在形はけっこう難しい。現在形は次の二次的時制(sub-tenses)を表す。

1)中立あるいは基本叙述。現在形に限らないが(したがって時制とは関係がないが)<主語+は>の場合は説明、解説を表す場合が多い。一方<主語+が>は説明、解説というよりは多くは出来事の話者の客観的叙述になる。これもアスペクトといえばアスペクトの違いになる。
太郎が(は)働く。 美代子が(は)見る。次郎が(は)来る。 花子が(は)いる。
以上は人が主語になっているが、人間世界以外の自然界で起こっていること、 物理や化学の説明、解説を表す場合も現在形が多い。論理学や数学はさらに現在形が多いはずだ。
2)継続的、断続的行為、動作、連続的状態をを表す。
太郎が(は)(毎日)働く。 美代子が(は)(毎日)見る。次郎が(は)(毎日)来る。 花子が(は)(朝からずっと)いる。
3)未来を表す。
太郎が(は)(あした)働く。 美代子が(は)(あした)見る。次郎が(は)(あした)来る。 花子が(は)(午後)いる。

(注) 中立叙述とは英語の<to 不定詞>に相当するが、英語の<to 不定詞>は叙述文にはならない。動詞の終止形は中立叙述で会話内容、文脈、または修飾ごを伴って継続的、断続的行為、動作、とりあえず一回きりの行為、動作、連続的状態、さらに未来を示す。

英文法では<現在進行形>というのがあるが、日本語では次のように表す。あとでアスペクトについて検討するが、<進行形>は現在、過去、未来でも<進行形>を形式上、意味上たもつのでアスペクトと見なしたほうが合理的だ。

太郎が(は)(いま)働いている。 太郎が(は)(いま)働いているるところだ。
美代子が(は)(いま)見ている。  美代子が(は)(いま)見ているところだ。
<行く>、<来る>は具合が悪く
太郎が(は)(いま)行っている。(ダメ) ---> 次郎が(は)(いま)向かっている(ところだ)。
次郎が(は)(いま)来ている。(ダメ) ---> 次郎が(は)(いま)来るところだ。 次郎が(は)(いま)来ているところだ。 (ダメ)
花子が(は)(いま)いる。 花子が(は)(いま)いるところだ。 英語で I am being とはいわない。

一般には、

動詞連用形 て + いる
動詞連用形 て + いる + ところ + だ

といえそうだ。<ところ>の表現機能のひとつだ。 

<次郎が(は)(いま)来ている>、<次郎が(は)(いま)来るところだ>、<次郎が(は)(いま)来ているところだ>はやや曖昧だ。

次郎が(は)(いま)来ている。 - こうは言えない。 <次郎が(は)(いま)来ている>は<もう来てしっまている>のだ。
次郎が(は)(いま)来るところだ。 - Jiro is about to come の意味にもなる。
次郎が(は)(いま)来ているところだ。- Jiro has already come and is staying (here) の意味になる。
Jiro is now coming は<次郎が(は)今こちらにむかっているところだ>とかなり長くなる。

これは<来る>という動詞の意味(移動)が関係している。意味論になるのでここでは深入りしない。

ところで英語の<be about to>は<差し迫った未来>とでもいえよう。一般には、

動詞連体形 + ところ + だ

で表せる。

太郎が(は)(いま)働くところだ。
美代子が(は)(いま)見るところだ。
次郎が(は)(いま)来るところだ。
ただし
花子が(は)(いま)いるところだ。 - こうは言えない。
 これは<いる>という動詞の意味(存在)が関係いしている。これも意味論になるのでここでは深入りしない。これも<ところ>の表現機能のひとつだ。 


2. 過去形 - 動詞連用形 + 完了を表す助動詞<た>

ここでは<過去>は時制、<完了>は時制ではなくアスペクトと見なして話をすすめる。

日本語の過去形は英語で言う<過去形>(一応<現在から切りはなされた過去とする>)にほぼ相当する。

太郎が(は)働いた。
美代子が(は)見た。
次郎が(は)来た。
花子が(は)いた。

上記の時間的な意味はいずれも <現在から切りはなされた過去>といえる。

英語の現在完了形 (to have + 過去分詞)は厄介だ。主に次の三つの意味を含んでいる。

1)過去から現在まで継続、断続していることを表す
2)過去におこったが現在にも関連していることを表す
3)過去の経験を表す

厄介にしている原因は<現在完了形>と<完了>を時制に組み入れて説明しているからだろう。

1)過去から現在まで継続、断続していることを表す

日本語では

(ずっと) 動詞連用形 て + きた
(ずっと) 動詞連用形 て + きて + いる (やや翻訳調)

太郎が(は)(ずっと)働いてきた。
美代子が(は)(ずっと)見てきた。

<が>と<は>では意味が微妙に違う。

次郎が(は)来た。 次郎が(は)(ずっと)来てきた。(ダメ)
次郎が(は)(ずっと)来ている。(現在完了)
次郎が(は)(ずっと)来ていた。(過去完了)

花子が(は)いた。 花子が(は)(ずっと)いてきた。(ダメ)
花子が(は)(ずっと)いる。(現在完了)
花子が(は)(ずっと)いた。(過去完了)

2)過去におこったが現在にも関連していることを表す

この解説はむずかしい。

 英語のこの意味での 現在完了形の使用頻度は英語初級者の日本人の使用頻度よりはるかに多い。<現在から切りはなされた過去>というが、<切りはなされ>かたの具合や程度はさまざまで、発話者が<現在と関連ある過去>と判断すれば <have + 過去分詞>を使えるようだ。

I did it.
I have already done it.

日本語では<xx (し)ている>が進行アスペクトを暗示(to implicit)しているのに対し<xx (し)てある>という表現があり、これは現在と強く結びついた完了を暗示している。<いる、i-ru>と<ある、a-ru>の一字の違いに過ぎないが、意味するところは大いに異なる。

I have done it. は場合によっては<わたしはもうした、すませている>でなく<私はもうしてある>とも訳せる。

3)過去の経験を表す
動詞連用形 + た + こと + が + ある

太郎は働いたことがある。
美代子は見たことがある。
次郎は来たことがある。
花子はいたことがある。

以上は<は>を<が>で単純には置き換えられない。

太郎が働いたことがある。
美代子が見たことがある。
次郎が来たことがある。
花子がいたことがある。

これは<は>の場合は<象は鼻がながい>の構造に似ており<xx は xx ことがある>で<xx ことがある>の部分が<主語+動詞>なのだ。

これはほぼ完璧なルールだ。  また<こと>の対象化表現機能だ。 

日本語の時制(テンス)は元来の現在形(動詞は終止形)と過去形(動詞連用形+<た>)に<こと>、<ところ>さらには<くる>、<いく>、<いる><ある>を使ってかなり複雑な英語文法でいう時制(テンス)を表せ文法ルールがある。本動詞が<くる>、<いく>、<いる>、<ある>の場合は一般動詞のルール当てはまらない。<くる>、<いく>は移動関連の、<いる>、<ある>は存在の動詞でそれぞれおもしろいところが多いにで、さらに検討してみる。

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B. 日本語のアスペクト

時制 (テンス)に関連してアスペクト(Aspect)というのがある。繰り返しになるがはじめに次のように書いた。



日本語では時制は次の二つ。

1. 現在形 - 動詞は終止形
2. 過去形 - 動詞連用形 + 完了を表す助動詞<た>。

1. 現在形
現在形はけっこう難しい。現在形は次の二次的時制(sub-tenses)を表す。

1)中立あるいは基本叙述。説明、解説を表す。
太郎は働く。 美代子は見る。次郎は来る。 花子はいる。
2)継続的、断続的行為、動作、連続的状態をを表す。
太郎は(毎日)働く。 美代子は(毎日)見る。次郎は(毎日)来る。 花子は(朝からずっと)いる。
3)未来を表す。
太郎は(あした)働く。 美代子は(あした)見る。次郎は(あした)来る。 花子は(午後)いる。

 ”

アスペクト(Aspect)の定義はまだしていないが、<二次的時制(sub-tenses)>は時制ではなくアスペクト(Aspect)とも言えよう。

完了についても、下記をアスペクトと見ることもできる。

1. <現在から切りはなされた>過去 - 完了

2. 英語の現在完了形 は主に次の三つの意味を含んでいる。

1)過去から現在まで継続、断続していることを表す  - 継続、断続アスペクト
2)過去におこったが現在にも関連していることを表す - 完了アスペクト
3)過去の経験を表す  - 完了アスペクト

アスペクト(Aspect)を完了(perfective)と継続(imperfective)に分けることがあるが(ロシア語)、不完了/未完了は完了の否定だが継続でもある(終わっていない)。また人の世界の見方は開始よりも完了が視点になっているようだ。特に未完了は日本語では<まだxxx(し)ていない>と係り結びになり、強調されている。完了の多くは成功だが、失敗に終わる完了もある。成功や成就はアスペクトになりうる。そしてこれは時制と関係がありそう。(別途検討)


1)xx が(は)始まった。
2)xx が(は))終わった。 

1)は<始まる>を使っているが内容は<完了>だ。また<終わる>、<終える>、は完了を明示的に(explicitly)にあらわす。<しまう>は<終わる>、<終える>ほど明示的ではない。

宿題はもうしてしまった。
宿題はなるべく早くしてしまおう。
xx は(が)始まってしまった。

アスペクト(Aspect)の範囲を広げれば日本語のアスペクトはかなり豊富である。繰り返しになるが、

英語の現在進行形<to be xx-ing>

動詞連用形 て + いる
動詞連用形 て + いる + ところ + だ

英語の<to be about to>は<差し迫った未来>とでもいえよう。一般には、

動詞連体形 + ところ + だ   長くなるが<差し迫った未来アスペクト>

今するところだ。

過去から現在まで継続、断続していることを表す
(ずっと) 動詞連用形 て + きた (have + 過去分詞)
(ずっと) 動詞連用形 て + きて + いる (やや翻訳調) (to have + been xx-ing)

過去の経験を表す
動詞連用形 + た + こと + が + ある    経験アスペクト

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太郎は働く。 美代子は見る。次郎は来る。 花子はいる。

上記以外にも次のような表現がある。

動詞連体形 + もの + だ   (socially required rules、natural phenomenon)

男は働くものだ。(socially required rules、natural phenomenon) (道徳的摂理) 摂理アスペクト
りんごは木から落ちるものだ。(natural phenomenon) (因果関係、自然の摂理) 因果、摂理アスペクト


動詞連用形 + た + もの + だ   (used to 不定詞) 習慣アスペクト

太郎は(よく)働いたものだ。

動詞連体形 + た + もの + だった   (回想、recalling)  習慣アスペクト

太郎は(よく)働いたものだった。

以上は<は>を単純に<が>で置き換えられない。

男は働くものだ。 --> 男が働くものだ。 
太郎は(よく)働いたものだ。  --> 太郎が(よく)働いたものだ。
太郎は(よく)働いたものだった 。  --> 太郎が(よく)働いたものだった 。 

動詞連体形 + こと + だ  (対象化、感動)

必要なのは太郎働くことだ。 (対象化)

この<が>は<は>で置き換えられない。

太郎はよく働くことだ。  (感動) 普通は<太郎は(なんと、まあ、ほんとに、etc)よく働くことだ。

XX ということになる (因果関係)  因果アスペクト

AをすればBということになる。

動詞連用形 + た + ところ + だ  (to have just finished)) 

美代子が(は)見たところだ。 (完了というよりは(一回限りの、一時的な)出来事) 出来事アスペクト

動詞連体形 + ところ + だった   過去の<差し迫った未来アスペクト>

美代子が(は)見るところだった。  <to be about to の過去> または   
美代子が(は)見るところだった。 (が実際はみなかった)の意味にもなる。
曖昧さがのこるが、たいてい副詞が入り 曖昧さは除ける。

美代子が(は)(ちょうど)見るところだった。
美代子が(は)(もうすこしで)見るところだった。


いずれにしても<もの><こと><ところ>が大活躍する。日本語のアスペクトといえる。

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動詞連用形 て + いく  

動詞連用形 て + くる  

<くる><いく>は移動の動詞だが、<動く>、<歩く>、<飛ぶ>などが純粋な移動動詞であるに対して、アスペクト(Aspect)的な働きがある。次回のポストで取り上げる。


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