Sunday, December 27, 2015

<散る>と<塵(ちり)>


<ちり>を<塵>と書くと見えなくなってしまうが<ちり>はまちがいなく<散る>由来だ。<木(<こ>でも<き>でもいい)の葉が散る>の<散る>は英語では to fall だが、<ちる>は to fallではない。 to fall は元来<落ちる>の意だ。<おちる>の<ちる>はたまたま<お+ちる>で<散る>と関係ないだろう。<散る>の意に近いは英語はto scatter だ。to scatter は調べていないが自動詞(散る)、他動詞(散らす)がありそう。

 <散らす>は他動詞だが<散らかす>という使役由来ともいえる他動詞がある。 <散らす>の英語はto scatter で間に合うだろう。


sptt

Tuesday, October 6, 2015

自動詞の受身形と迷惑、被害、<たたる>


日本語の特徴の一つに<自動詞の受身形>というのがある。

1)旅行は雨に降られて楽しみが半減した。
2)太郎は皆の前で花子に泣かれて困り果てた。
3)まわりで子供たちに騒がれてテレビドラマに集中できない。
4)夫は妻に突然死なれて途方にくれた。
5)爺さん婆さんに毎朝早く起きられて閉口(へいこう)している。

以上は

1)<雨が降る>の<降る>は自動詞。
2)<花子が泣く>の<泣く>は自動詞。  <xxを泣く>という言い方があるが、<なく>は基本的に自動詞とみなす。
3)<子供たちが騒ぐ>の<騒ぐ>は自動詞。   これも<xxを騒ぐ>という言い方がある。
4)<妻が死ぬ>の<死ぬ>は自動詞。
5)<爺さん婆さんが起きる>の<起きる>は自動詞

後半部の意味内容

1)楽しみが半減した。
2)困り果てた。
3)集中できない。(集中できなくて困った)
4)途方にくれた。
5)閉口している

いずれもネガティブな内容。もう少し具体的には迷惑する(した)、被害を受ける(た)、といった迷惑、被害の感情表現だ。

1)旅行は雨に降られて楽しみが半減した。

これは

旅行は雨にたたられて楽しみが半減した。

という表現もある。<たたる>は他動詞のようだが<xxがyyにたたる>で自動詞。これまた自動詞の受身形だ。<たたる>はおもしろい動詞で、自動詞だが、意味的には<迷惑、被害をかける>、もっと一般的には因果動詞(xxさせる、xxの原因となる、英語の to make, to cause)のような意味があり他動詞っぽい。またなにか目に見えない力(ちから)がはたらいている(誰かが、何かがはたらかせている)ような感じだ。名詞(体言)は<たたり>で連用形の名詞(体言)化だ。

雨がたたって旅行は楽しみが半減した。(雨が原因で旅行は楽しみが半減した。)

という言い方もできる。だがこの場合も<たたる>は自動詞だ。

<たたる>以外では<わざわい>がある。<わざわう>という動詞はないようで<xxがわざわいする>となり、これまた自動詞だ。長すぎるためか<たたる>ほどは頻繁に使われていないようだ。

私の見るとこでは日本人、中国人は言語上は被害妄想民族で(韓国語は調べていないが、おそらく日本語に似ているだろう)、受身形を用いて<迷惑、被害>をかなり簡単に表現する。中国語の場合は<被害>の<被(bei)>を使い、元来<迷惑、被害>だが、英語の受身形の訳はこの<被(bei)>が使われ、迷惑、被害感がつきまとうようだ。

さらに検討予定。

sptt

Saturday, September 19, 2015

<ますます>減る -  to decrease more and more


<ますますふえる>とは言うが<ますます減る>は変だ。しかし<ますます多くなる>はもちろん<ますます少なくなる> もさほど変ではない。<ますます>はもともと<増す増す>だろうから、ふえる、多くなる、大きくなる、など positive なモノ、コトに付いて<減る>、<少なくなる>、<小さくなる>など negative なモノ、コトに付くにはおかしいわけだが、どういうわけかそうではなさそう。リストアップしてみる。

動詞
ますます増す、ますますふえる <-> ますます減る (大方ダメ)
ますます太(ふと)る、肥(こ)える <-> ますますやせる (大方OK)

形容詞、形容動詞+なる

ますます多くなる <-> ますます少なくなる (OK)
ますます大きくなる <-> ますます小さくなる (OK)
ますます長くなる <-> ますます短くなる (OK)
ますます速く(早く)なる <-> ますます遅くなる (OK)
ますます良くなる <-> ますます悪くなる (OK)
ますます忙いそが)しくなる <-> ますますひまになる (大方OK)
ますます綺麗(きれい)になる <-> ますますみにくくなる (OK)
(物価が)ますます高くなる  <-> ますます安くなる (OK)
(飛行機の高度が)ますます高くなる  <-> ますます低くなる (大方ダメ)
(山道が)ますますけわしくなる  <-> ますますなだらかになる (大方ダメ)

<ますます減る>はまったくダメというわけではないが、<どんどん減る>とか<みるみる減る>という言い方がある。<増す増す>の反対は<減る減る>なので<へるへる減る>があってもいい。

<(飛行機の高度が)ますます低くなる>もやや変だ。これも<どんどん低くなる>とか<みるみる低くなる>という言い方がふつうだろう。これは<高度>という語の意味が残っているためか?

<山道がますますなだらかになる>はやや変だ。 <山道がどんどんなだらかになる>、<山道がみるみるなだらかになる>と言いそう。


英語には less という語があり、less pretty、less happy、less interesting などのように形容詞につけて否定的(negative)な比較(級)の意をあらわしたり(<より xxx ない>という変な日本語訳になる)、to become less and less のように動詞について<ますます少なくなる、減っていく、くる>の意味をあらわす。日本語にないので慣れるのに時間がかかるが、慣れれば便利な言い方だ。

英語でも<ますます減る>は to decrease less and less で to decrease more and more はおかしい。 to increase less and less も間違いだろう。


sptt

Sunday, September 6, 2015

音象徴 -2 「 動き」のイメージ


前回のポストでは「 動かない」という基本イメージの<st->の英語と日本語について調べた。当然ながら「 動く」という基本イメージについて調べてみたくなる。

英語では

to move

ラテン語系では motion がある。 少し範囲を広げれば

to walk
to run
to swim
to fly
to push
to push up, down
to pull
to pull up, down
to drive  これは車のドライブ以外に基本的な<動かす>の意がある。

to swing
to shake 

以上は主に直線的な運動だが、物理的に重要な回転、振幅運動があり、

回転運動
to rotate (ラテン語系)
to spin
to xx around

振幅運動
to swing
to shake

以上の語からは音象徴は見つけにくい。

回転につては、sptt やまとことばじてんのポスト<回転のやまとこと>でつぎのようなことを書いた。


英語の場合も発音上グループ化が出来そうだ。

to rotate, to revolve
around, surround
swivel  (chair)
to turn (a page), to turn around
to wind, to roll
whirlpool
to bend
to involve, to wrap, to bundle
circle, ring
round

以上の外(ほか)に

to swirl
to twirl
curl 
rondo
(追加予定)

英語では ”r” がらみの発音が多い。英語の ”r” は<巻き舌>ではないが、スペイン語やイタリア語では<巻き舌>の”r” だ。

whirl、swirl、twirl、curl  (名詞形もある)は明らかに発音上同じグループで<まわる>感じがある。

"


さて日本語の方だが、まず基本的なのは

動く(うごく) - 動かす

関連では、<うごめく>というのがある。コンピュータワープロでは<蠢く>というすごい漢字が出てくる。上記の」英語にならうと、

to walk - 歩く(あるく)
to run - 走る(はしる)、かける
to swim - 泳ぐ(およぐ)
to fly - 飛ぶ(とぶ)。日本語の<とぶ>は<飛ぶ>以外に<跳(と)ぶ>がある。<跳(は)ねる>もこの仲間だ。
to push - 押す(おす)
to push up, down 押し上げる、押し下げる
to pull -  引く
to pull up, down - 引き上げる、引き下げる
to drive - 動かす

回転関連では

回(まわ)る - 回す
転(ころ)がる - 転がす
転げる
めぐる

<まわる>は自動詞の後について

動きまわる
歩きまわる
走りまわる
駆け回る
泳ぎまわる
飛びまわる、跳びまわる、跳ねまわる
---
遊びまわる

<見まわる>、<聞きまわる>、<嗅(か)ぎまわる>、<ふれまわる>は他動詞になる。

一方他動詞には<まわす>がつく。

押しまわす
引きまわす
---
見まわす

だが、<まわる>、<まわす>はかならずしも厳密な回転ではない。

振幅、振動関連では

揺(ゆ)れる -揺ら
揺らぐ - 揺るがす
振れる - 振る

以上ざっと見ただけでは「 動く」という基本イメージの特定の音はないようだ。しかしよくみると、

うごく
およぐ
あがる - あげる - 古語は<あぐ>
下がる - さげる  - 古語は<さぐ>
ゆらぐ

などは音イメージがある。 ヒントは<うごく>の<ご>、<およぐ>、<ゆらぐ>の<ぐ>だ。特に<ぐ>には<動き>のイメージがありそう。

あぐ(あがる、あげる)、いぎ、うぐ、えぐ(えぐる)、おぐ(およぐ)
かぐ、きぐ、くぐ(くぐる)、けぐ、こぐ(漕ぐ)
さぐ(さがる、さげる)、しぐ、すぐ(すぎる)、せぐ、そぐ(削ぐ)
たぐ(たぐる)(たぎる)、ちぐ(ちぎる)、つぐ(注ぐ)、てぐ、とぐ(研ぐ)
なぐ(なぐる、なげる)、にぐ(にげる)、ぬぐ(脱ぐ)、ねぐ、のぐ(のがれる)
はぐ(剥ぐ)、ひぐ、ふぐ、へぐ、ほぐ(ほぐれる)
まぐ(まげる)、みぐ、むぐ、めぐ(めぐる)、もぐ(もげる)(もぐる)
やぐ     ゆぐ(ゆらぐ)    よぐ
らぐ(ゆらぐ)、りぐ、るぐ、れぐ、ろぐ
              わぐ

二音節+<ぐ>は組み合わせが格段にふえてしまうが

かかぐ(かかげる)
かしぐ - かしげる
かたぐ(かたげる)
ささぐ(ささげる)
さわぐ
しのぐ
そよぐ
つなぐ
はしゃぐ
ひさぐ(古語)
ひしゃぐ(ひしゃげる)
またぐ
もたぐ(もたげる)
ゆらぐ

<ぐる>は<ぐるぐるまわる>の<ぐる>だが、<ぐる>をとる語は次のとおり。

えぐる
くぐる
さぐる
たぐる
なぐる、なげる
まがる - まげる 古語は<まぐ>
めぐる
もぐる


ぐるぐる (まわる)
ぐらぐら (ゆれる)、 ぐらつく
ぐんぐん (のびる)
ぐっと (引く) - <動く>、<動かす>ためには力が必要。

<ゆらぐ>は<ぐ>のみならず、<ゆら>の方にも<ゆらゆら>に代表されように主に振幅、振動の<動き>のイメージがある。

ゆるぐ - ゆるがす
ゆるむ - ゆるめる
ゆれる - ゆらす

くゆる(古語)
もゆる(古語)

<は行>
剥(は)ぐ、 剥がす
離(はな)す - 離れる
放(はな)つ
跳(は)ねる
ひねる
開(ひら)く
振(ふ)る - 振れる
経(へ)る
掘(ほ)る


 sptt





Thursday, September 3, 2015

音象徴 (Sound Symbolism)-1、


<医療者間で使われるドイツ語隠語の造語法に関する考察> (Bull. Nagano Coll. Nurs. 長野県看護大学紀要資料 4: 31~ 39,2 0 0 2*1 長野県看護大学  2001年12月13日受付、
https://ncn.repo.nii.ac.jp/index.php?... )という論文の中に次のような記載がある。


xxxxx.st- で始まる多くの語には,stand, stable, still, stayなどのように「 動かない」という基本イメージ(これは一種の音象徴である)があるので、xxxxx



もともとはドイツの sterben (死ぬ)説明のなかにある。

<st->語は英語にもドイツ語にもたくさんある。

「 動かない」という基本イメージ関連では上記のほか

to stack
staff
to stall
to stagnate - stagnant
to stamp
to starve (上記のドイツ語 sterben)
state - status (Latin 語由来)- station - stationary

to stem - stem
sterile
stern

stick
to stick
stiff
to sting
to stitch

to stock - stock
stone (小石は pebble)
stool
to stop
to store - store - storage
stout

stuff
to stumble
to stun
sturdy

<str->にも関連のようなのがあるが、<str->は別語源だろう。

----

「 動かない」という基本イメージがある日本語(の音象徴)は何か?


さ行

しずか
しずしずと

しっかりと
しまって <-- しめる (絞める、締める、閉める、湿る)

た行

立つ - 立てる

溜(た)まる - 溜める

ち(地) - 大地、地球からすると<ち(地)>は漢語だが、<つち(土)>は和語だ。

付く(着く) - 付ける (着ける)

詰まる - 詰める

止まる - 止める

とどまる - とどめる


や行

休(やす)む - 休める
止(や)む - 止める


以上からすると<た行>の語がが多いようだ。

音象徴 (Sound Symbolism)は文法から少し離れるが面白い調査対象なので、しばらく続けることにする。


sptt

Wednesday, August 26, 2015

<ケガをする>について


以前に別のポストで<財布をなくす>に検討したことがある。<なくす>は他動詞だが、<なくそう>として<財布をなくす>人はまれだ、というようなことを書いた。<ケガをする>も同じようなことが言えそうだ。また<する>についてもまた別のポスト ”<する>は他動詞、自動詞、いったい何だ?” で検討したことがある。<ケガをする>について検討してみる。

<ケガをする>に似たような表現には

損をする: <損する>がふつう。反義語:得をする、得する。<損>は漢語だ。<得>も漢語だろう。北京語では<de>、広東語では<dak>。<d>はソフトな<t>だ。
失敗をする:<失敗する>がふつう。反義語:成功する、<成功をする>とはあまり言わな。 <成功>は漢語だ。
間違いをする:<間違える>がふつう。
ミスをする:<ミスる>というのがある。
ドジをする:<ドジをふむ>、<ドジる>がふつう。
ヘマをする:<ヘマる>というのははまだないようだ。
うっかりする:  <うつ>関連か。

がある。<うっかりする>はやや近いが、その他は<ケガをする>と<財布をなくす>にある共通点は薄いまたはないようだ。

<ケガ>は漢字では怪我と書くが、何のことだかよくわからない。私が愛用するインターネット中英(漢英)辞典(http://dict.cn/en/)にはない。怪我の<怪>は<很奇怪>としてよく聞く。<奇怪>は<おかしい>、<わけがよくわからない>、<不思議だ>、<変だ>、英語で言えば strange の意で、<奇>も<怪>も同じような意味だ。奇術の<奇>、<怪人二十面相>の<怪>だ。

<怪我の功名>という言い方があるが、これは<好ましくない状況、さらにはいったん失敗や不利に陥った状況が転じて得られた、思いがけない、予期せぬ、意外な功名>といった意味だ。<災い転じて福となす>に近いようだ。現代中国語では<意外>は<事故>の意味だ。少なくともここ香港では、交通意外=交通事故。以上からすると<怪我>の意味はやや複雑で

1) 現在の主な意味 -負傷。 
2)わけがよくわからない、思いがけないこと。
3) 思いがけない好ましくないこと

だが<怪我の功名>はもともと1)、3)の意味はなく、簡単な<思いがけない功名>であったのが<災い転じて福となす>と絡んで、現在のような意味になった可能性がある。

<怪我>が漢語由来かどうかわからないが、<ケガす>という語があるが<けがす>、<汚す>、<穢す>と書いてしまうと、<けが>と関係がなさそうになるが<けが>、<けがす>は関連があろう。<けがす>には<けがれる>という対応自動詞がある。名詞(体言)は<けがれ>で、<けがれる>の連体形の体言化だ。

<ケガをする>は<ケガする>ともいうが<損する>、<間違える>ほど一般的ではないようだ。<ケガする>は<足をケガする>ともいうので<ケガする>は他動詞ということになるが、<足をケガをする>とは言わないのは文法にかなっている。だが<足をくじく>、<足を痛める>はいいので、何か変だ。<ケガをする>とは一体何なのか?

漢語+する

失敗をする - 失敗する
成功をする - 成功する
勉強をする - 勉強する

損をする - 損する
得をする - 得する

<ケガをする>は<ケガする>でもいいので、<怪我>は漢語由来の可能性が高い。

大和言葉+する

ママゴト遊びをする - 遊びをする(ダメ) - 遊ぶ

身体関連では

まばたきをする。<ま>は目<め>のナマリ。まなこ、まぶた。

これも<目をはたくをする>はダメだ。<まばたき>は自分でコントロールができるが、ふつうは無意識の動作だ。

いねむりをする

<ねる>との違いは<いねむり>無意識でする、またはときによっては<ケガ>と同じで、予期せぬ好ましくないことだ。いねむり運転は事故、怪我につながる。

あくびをする

<あくび>は必ずしも<好ましくない>わけではないが予期しない動作だ。

咳(せき)をする

これも予期しない動作だ。<咳が出る>ともいう。<出る>は自動詞。

身体関連の表現は各国語によって違い、文法上面白い調査対象。日本語では<ケガをする>と言うが、

英語 - to get hurt  (受け身表現)
ドイツ語 - sich weh tun (weh は<痛い>形容詞)

このポストは<sich weh tun>に出くわして調べた後に書いたもの。


sptt




Sunday, June 28, 2015

言語、文法上の<可能態、現実態>について - 未然形


このポストは前回のポスト ”存在と認識の大動詞<ある>-2” の続きだが、<存在と認識>の論議ではなく、生成、変化の論議だ。

前回のポストで、アリストテレスを引用しながら(Japan-wiki)、次にように書いた。

 
<世界に生起する現象の原因>についてはきわめて大き論議なので、ここでは省略。これは現代では主に物理学に代表される自然科学の領域だ。言語、文法上は<なる>、<できる>、<つくる>などの動詞について述べることになるだろう。
<万物が可能態から現実態への生成のうちにあり>も魅力的な<世界に生起する現象>、言い換えれば<世の中でおこるもろもろの現象>の見方だ。言語、文法でもこの見方が適応できるのではないか。

<可能態、現実態>の言語、文法上への適応について考えてみる。

可能態の<可能>は<できる(can)>というよりは potential の可能だ。現実の方は potential 態(の状態)のモノが生成、変化した後のモノだ。この過程が<なる>、<できる>、<つくる>だ。いづれも日本語の大動詞だ。<なる>は<やや受動的>な生成、創造、変化の意の動詞だ。<できる>は<可能>の意味と<出来て来る、生成、変化>の意味があり、曖昧(あいまい)とも、<在る>、<有る>の両義を含む大動詞<ある>に匹敵(ひってき)する動詞とも言えそう。<つくる>は能動的な生成、創造の意の動詞だ。やや受動的>と言ったのは<なる>は受身というよりは<自然に><なる>が主な意味だからだ。

アリストテレスに再度登場してもらう。 前回のポストで次のように書いた。

””
Japan-wiki から


万物が可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「」(不動の動者)と呼ばれる。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「神」概念に影響を受け、彼らの宗教(キリスト教イスラム教)の神(ヤハウェアッラーフ)と同一視した。




上記の <神>の定義は証明的で歴史的に長く大きな影響があった(今もある)だろう。 だが、この定義は日本人には受け入れ難いだろう。<質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたもの(正確には、日本語では、コトだろう)>は<最 高の現実性>どころか現実的でないのだ。なぜなら、<質料をもたない純粋形相>では存在しているかどうかあやしいので、認識がモノより難しいのだ。

”” 

引用が多くなり、また重なるところがあるが

Japan-wiki <形相>から

 
形相

形相(けいそう ギリシャ語 エイドス)とは、哲学用語で質料に対置して使われる用語。日本語としては、「ぎょうそう」とも読めるが、哲学用語として使う時には「けいそう」と読む。

アリストテレス哲学における「形相」

「質料」(ヒュレー)と「形相」(エイドス)を対置して、内容、素材とそれを用いてつくられたかたちという対の概念として初めて用いた人は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスである。彼の『形而上学』の中にこういう概念枠組みが登場する。また『自然学』でもこうした枠組みで説明が行われる。
プラトンが観念実在論を採り、あるものをそのものたらしめ、そのものとしての性質を付与するイデアを、そのものから独立して存在する実体として考え たのに対し、アリストテレスは、あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)は、そのもののマテリアルな素材である質料(ヒュレー)と分離不可 能で内在的なものであると考えた。
プラトンは元来イデアを意味するのにエイドスという言葉も使っていたのだが、アリストテレスが師の概念と区別してこの言葉を定義した。
大雑把に言えばプラトンのイデアは判子のようなものであるが、アリストテレスのエイドスは押された刻印のようなものである。イデアは個物から独立して離在するが、エイドスは具体的な個物において、しかもつねに質料とセットになったかたちでしか実在し得ない。
エイドスが素材と結びついて現実化した個物をアリストテレスは現実態(エネルゲイヤ)と呼び、現実態を生み出す潜在的な可能性を可能態デュナミス)と呼んだ。今ある現実態は、未来の現実態をうみだす可能態となっている。このように、万物はたがいの他の可能態となり、手段となりながら、ひとつのまとまった秩序をつくる。
アリストテレスはまた、「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。ここで肉体は質料にあたり、魂は形相にあた る。なにものかでありうる質料は、形相による制約を受けてそのものとなる。いかなる存在も形相のほかに質料をもつ点、存在は半面においては生成でもある。
質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」=プラトンのイデア)においてのみ、生成は停止する。
すなわち、万物はたがいの他の可能態となり、手段となるが、その究極に、けっして他のものの手段となることはない、目的そのものとしての「最高善」がある。この最高善を見いだすことこそ人生の最高の価値である、としたのである。

形相はいわば形(かたち)だが、物理学的には形(shape)と力(force)は不可分の関係にある。

西洋哲学史のキホン - アリストテレス:可能態・現実態、四原因論から
http://www.western-philosophy.com/category2/aristoteles_05.html


たとえば、ここに石があるとする。
石は、素材として、石像にも敷石にも建物の柱にもなる“可能性”を持っている。
しかし、石が石像という“現実的な存在”になるためには、石を石像にする彫刻家が心のなかに抱いている「形相」が必要である。
そして、素材としての石が彫刻家の「形相」によって個物としての石像になるとき、そこには「可能態」(デュミナス)が「現実態」(エネルゲイア)へ変化するという「運動」(キネシス)が認められるのである。

それでは、こうした「運動」はどこから始まるのかというと、それは、変化する前の純粋な質料=「第一質料」である。
逆に、すべての質料が現実的な存在となるゴールはどこかというと、それは、いかなるものの質料ともなりえないところまで行き着いた「純粋現実態」(エンテレケイア、「純粋形相」とも言う)である。

こうした「運動」をさらに考察すると、「運動」の原因には4つあることがわかる(「四原因論」)。
質料因」「形相因」「始動因」「目的因」である。
上記の石像を例にすると、「質料因」が石、「形相因」が像、「始動因」が彫刻家、「目的因」が石像を制作する意図に、それぞれ当たる。

さらに考察を進め、「始動因」である彫刻家を動かすものは何か、その何かは何に動かされているのか……と「運動」の原因をさかのぼって考えていくと、その果てには、“他を動かしてもみずからは決して動かないたった1つのもの”がいることになる。
アリストテレスは、この存在を「不動の動者」と呼び、神とみなしたのであった

” 

いかにアリストテレスの影響が大きかったか、はたまた後世の宗教家たち、宗教集団がアリストテレスの哲学をいかに利用したかがわかる。

さて言語、文法の方に戻る。

日本語文法には未然形というのがある。教科書や辞書の活用表では用言(動詞、形容詞、形容動詞)の語尾活用の一番目にくる。未然形は文字通りでは<未(いま)だし(然)からず>で、いわばpotential (態)形だ。言語、文法構造が違うが、英語などの西洋語や中国語には未然形のようものはなく、日本語の大きな特徴だ。

西洋語 - 仮定形は非現実をあらわすが potential 形、未然形と違う。英語にはないが他のフランス語、ドイツ語、ラテン語には接続法というのがあり、基本的には非現実をあらわすが、これまた potential 形、未然形とはすこし違う。

中国語 - <未然形>という言葉は中国語から作られている。中国語には用言活用がないので(体言活用もない、ということは<活用が基本的にまったくない>とんでもない言語だ)、未然形>は中国語由来ではない。<未>という語自体に<未(いま)だ>だけでなく<ない>の意味も含まれている。<potential 態>を作る重要語だ。<未>という語では、結局否定されることになるが、<現実態>が想定されている。言い換えると<未>という語を使うときには話者は意識的に、または多くの場合無意識のうちに<現実態>を想定して、それを否定していることになる。

日本語 

日本語の助動詞は言語、文法上の<態>とも言える話者の心理状態をあらわすので、未然形がつく助動詞を検討してみる。手元の辞書(三省堂の新辞解、第6版)の助動詞活用表では

受身、尊敬、自発、可能の助動詞 - れる、られる
使役 - せる、させる、しめる
打消(うちけし) - ぬ、ない

簡単だが、冒頭で紹介したアリストテレスの<世の中の事象の生成、変化過程の分析>を考えると示唆するところが多い。

受身 - 生成、変化させられる

<する>の受身は<さ>(<する>の未然形)+<れる>で、<される>だが、<する>の使役形は<さす>で、この未然形<させ>に受身の助動詞<られる>がついて<させられる>となる。

尊敬 - これは生成、変化とは関係ないので省略。

自発 - 自発的、自然に<xx になる> <なる>は別途検討した方がいいだろう。

可能 - 普通は<できる>の可能で、potential 態をあらわすわけではない。<できる>も別途検討。

-----

使役 ー 生成、変化させる

-----

打消(うちけし)

未然形とはいうが、<未然>の意味での打ち消しは日本語では<いまだ xx ない>、<まだ xx ない>で<いまだ>、<まだ>という副詞が必要で、しかも

いまだ xx ない 
まだ xx ない

と<係り結び>になり<xx>の用言が未然形となるすこし込み入った構成だ。これは中国語は<未>の一字で<いまだ xx ない>の意をあらわすのと大きな違いだ。副詞のない<ない>は単純否定で、否定される用言の未然形が<ない>の前に来る。また<xx がない>の<ない>は日本語文法では形容詞だ。古語形は<なし>で形容詞型活用がよくわかる。

肝心なことは上記の助動詞に受身、尊敬、自発、可能;使役;打消の意味があると考えてしまうが、これらの助動詞は他の用言の未然形についてはじめて受身、尊敬、自発、可能;使役;打消の意味があらわされるということだ。未然形以外の連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形についた場合は日本語として間違いなのだ。



1)五段活用動詞

未然形 - 読ま(される、れる、せる、ない)
連用形 - 読み(ます、読んで-音便))
終止形 - 読む
連体形 - 読む(とき)
仮定形 - 読め(ば)
命令形 - 読め

可能は<読める>だがこれは<読みえる>由来で、未然形ではなく仮定形<読め>+<える>が原型だろう。

2)下一段活用動詞 

未然形 - (れる、ない、させる)
連用形 - (て 、ます)
終止形 - 
連体形 - る(とき)
仮定形 - れ(ば)
命令形 - 着(ろ)

他の活用は省略

以上は現代口語で、古語では仮定の言い方は未然形についた。

1)仮定

現代口語  仮定形 - 読めば
古語     仮定形 - 読まば

古語の<読めば>は已然形で<読んだので>のような意になる。仮定のことを言うときに<未然形>を使うというのは重要で、可能態、potential 態に関連してくる。

2)意思

手元の辞書では<未来>を示す助動詞として


よう

助動詞活用表に中にあり、しかも五段活用では未然形につくとなっている。

これは解説が必要だだ。

未来 <読もう>、<読も>+<う>

となるが<読も>は未然形ではない。これも解説には古語が必要で、昔は少なくとも

読まう

と書いた。発音は<読まう>(<読まむ>というのもある)から<読もう>に変わったが、書く場合は<読まう>が残った。

また<未来>というのも問題があり、読まう>、<読もう>は意思だ。日本語では終止形が<未来>もあらわす。

この本は明日の朝読む
明日の朝は早く起きる

未来表現意思表現は可能態、potential 態に関連してくるが、未来形が終止形と同じでは具合が悪い。状況がわからないと(例えば、<明日の朝>)区別がついにくいのだ。
 
以上から、古語では

受身、尊敬、自発、可能;使役;打消の意味の助動詞に加えて、仮定、意思の意味の助動詞は未然形についていたことになる。未然形の役割が大きすぎ、多すぎたようだ。これまた区別がついにくいのだ。これが仮定、意思の意味の助動詞が未然形につかなくなった理由の一つだろう。この辺は別途調べたいところだ。

終止形の<読む>、<起きる>と違って未然形の<読ま>や<起き>だけでは<宙ぶらりんの状態>で<定>になっていない。<不定形>ともいえるが、<宙ぶらりんの状態>は重要なことなのだ。

なにが重要かというと、次に来る未然形につく助動詞をある程度推測、期待させるからだ。

一方連用形は、<xx ます>は例外のようだが、終わらずに続く感じがある、あるいは続く感じをおこさせる。

読んで 古語は<読みて>
読みながら
読みつつ

気がつきにくいがいわゆる複合動詞の前に来る動詞は連用形だ。あたりまえだが、この連用形は終わらずにあとの動詞に続くのだ。

読みきる、読み違う、読み取る

<読み>も宙ぶらりんの状態>の状態だが、<読ま>と違って受身、尊敬、自発、可能;使役;打消の意味の意味は推測、期待させないのだ。これまた区別が関係してくる。

英語は動詞の人称変化が簡素化してしっまているが、それでも

I (We, They) read.
He (She) reads.

の区別はある。したがって、だれが読む(to read)なのか区別がある程度できる。私は話す時も、書くときもこの<s>をよく忘れる。もっとも過去形は

I、We、They、He、She read.

で区別がなくなってしまう。もちろん現在形と過去形の区別はある。 


別途検討次項

忘れないうちに別途検討しておく。

<なる>について
<できる>について


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